古生物・恐竜 妄想雑記

恐竜好きないち素人による妄想語り置き場

リアルネッシー、ララミディアに泳ぐ【ブログ開設2周年記念記事】

 本日(正確には明日ですが投稿可能時間の都合上本日)を持ちまして『古生物・恐竜 妄想雑記』は2周年を迎えました。日ごろ足を運んでいただく読者の皆様方にはこの場をお借りして感謝申し上げます。そんなわけでいつものノリで2周年記事でございます。

 

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 恐竜にまつわる未確認生物で最も有名なものと言えばネス湖ネッシーであろう。ネッシーを撮影したとされる写真については純度100%の偽物であることが明らからしいのだが、それでもイギリスでは時たまネッシー捜索と称してネス湖で大規模な捜索活動を行っているようである(筆者も『地球ドラマチック』で見たことがある)。元ネタである首長竜が恐竜ではないことは百も承知だが、中生代の大型爬虫類が生き残っているかもしれないというのはいかにもなロマンだ。

 さて、ネッシーは実在していないだろうが、実在した首長竜には淡水で生活していた種はいたのだろうか?この質問に対する答えはイエスである。基本的には海洋を主な生活の場としていた首長竜だが、一部の種には河口部や湖沼環境とみられる場所で発見されたものもいるという。具体的な名前を挙げるなら中国下部ジュラ系トアルシアン階より産出したビシャノプリオサウルス(Bishanopliosaurus youngiおよびBishanopliosaurus zigonensis)、ドイツ下部白亜系ベリアシアン階の湖沼環境から産出したブランカサウルス(Brancasaurus brancai)、アウストロラプトルらで知られるアレン層(当然ながら陸生層である)から産出したカワネクテス(Kawanectes lafquenianum)など、首長竜類の複数の分類群から少なくない数が淡水へ進出していたようである。

 そんな感じで世界各地に点在していた淡水生首長竜類だが、実のところララミディア(と言うよりも今回の舞台であるダイナソーパーク層(Dinosaur Park formation))からも化石が発見されていたようだ。1898年に発見されたのち、ランベによって1902年には報告されたようだが、それ以降は研究の表舞台に上ることはなく、知名度も低いままだった。何せ化石が断片過ぎたのである。とはいえそれから100年以上も経過すればまともに比較検討可能な良質な標本も産出しているのである。そんなわけで今回はダイナソーパーク層から産出した淡水生エラスモサウルス類のフルヴィオネクテス(Fluvionectes sloanae)の紹介である。

 

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 フルヴィオネクテスに入る前に、まずはダイナソーパーク層について振り返ってみよう。ダイナソーパーク層はカナダ西部に分布するベリーリバー層群(Belly River Group)のうち、最上部に位置する地層である(下位からフォアモスト層(Foremost formation)、オールドマン層(Oldman formation)、ダイナソーパーク層)。同層からはエドモントニアやカスモサウルス、パラサウロロフス、ゴルゴサウルスといった多種多様な恐竜、コリストデラ類や哺乳類などが産出している。

 本論文で取り上げられたフルヴィオネクテスの標本群は、1990年から2012年に発掘されたものである。このうちTMP 2009.037.0068、TMP 1990.046.0001、および TMP 1990.046.0001については推定される大きさや化石の色、質感、骨組織の成熟具合が全く同じであることから、同一個体由来のものとしてまとめてホロタイプ標本と扱われている。ホロタイプ標本に含まれる部位は歯、頚椎後部、胴椎や肋骨、仙椎を含む胴体部分ほぼすべての要素、部分的な骨盤、左前肢および後肢の一部などである。残念ながら分類に重要な頭骨はひとかけらも産出せず、首長竜で注目される頚椎もほとんどが後方部のものである。とはいえこれでも新属新種としての特徴は仙椎や肩甲骨、烏口骨など各所に確認された。タフォノミーの話を少しすると、2.5平方メートルの範囲内にバラバラになって産出していた。おそらくはスカベンジャーによる影響を受けていたこと、烏口骨や上腕骨の産出状態からして背中を上に向けて埋没したことなどが推測されている。

A:フルヴィオネクテスの産状図 B:背面から見た骨格図 C:体の輪郭線を付けた背面側骨格図。いずれもCampbell(2021)より引用。



 

 それでは記載内容をざっくりと紹介していこう。頚椎は前後の長さよりも高さと幅が目立つ、エラスモサウルス類として典型的な形状である。神経弓と椎体は癒合しているが、縫合線はまだ確認可能である。胴体部分の脊椎の割り当ては、胸椎3個、脊椎22個、仙椎5個、尾椎12個とされた。胸椎の数はエラスモサウルス類としては平均的な個数だが、脊椎についてはエラスモサウルス類のほとんどが20個以下であることを考えると割と多い方である。仙椎の個数もエラスモサウルス類の平均値よりも多く、これに匹敵するのはアルバートネクテスとヒドロテロサウルスぐらいであるようだ。脊椎の腹側には切れ込みがあり、これがフルヴィオネクテス固有の特徴とされている。

 肋骨の話は省略して鎖骨の話である。鎖骨弓は前方に凸型、後方に凹型という、遠位方向に丸みを帯びたブーメラン型となっている。腹側には顕著な稜線が見られるが、中央部が最も厚く、前後に行くにつれて薄くなっている。肩甲骨や烏口骨、腸骨などの形状は派生的なエラスモサウルス類とほぼ同じだった。

 ホロタイプ標本の近くからは胃石とみられる石が76個回収された。いずれもホロタイプ標本の胸部あたりに集中しており、直径は5.1~38.7mm、重さは0.2~15.4g(平均4.8g、総重量361.1g)であった。主に黒色チャートと灰色珪岩でできており、石同士で摩耗したためか角が取れ丸くなっていた。

 骨学的記載に伴って成長段階や全長の推定もされているので、(論文の順番とは前後してしまうが)ここで取り上げよう。フルヴィオネクテスのホロタイプ標本は先述通り神経弓と椎体が癒合していたほか、鎖骨弓や上腕骨も癒合しており、骨学的には成熟していたことが明らかである。しかし椎骨の一部で縫合線が見られたり、不完全な癒合に終わっていたりと、一部未成熟な個所もあるのだ。そのためホロタイプ標本は死亡時に若い成体だったと推測されている。全長についてはアルバートネクテスやナコナネクテス(Nakonanectes bradti*1)といったほぼ全身が産出しているエラスモサウルス類との比較から、ホロタイプ標本の全長は5.2m、参照標本に基づく最大全長は6.9mと推測された。

 

 骨学記載はこんなところであり、次は系統解析である。いつもの倹約解析の結果、フルヴィオネクテスはスティクソサウルス、アルバートネクテス、テルミノナタトル(Terminonatator ponteixensis*2)、ナコナネクテスらとともに多系統をなし、エラスモサウリダエのもっとも派生的な系統に置かれることになった。冒頭で述べた通り、淡水環境へと進出した首長竜は複数種が確認されているわけだが、フルヴィオネクテスはその中の新たな一例として数えられ、首長竜の淡水環境への進出は複数の系統で独立して何度も起きていたことが改めて示されたのであった。

フルヴィオネクテスを含めた派生的エラスモサウルス類の系統図。Campbell(2021)より引用。



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 以上がフルヴィオネクテスの記載論文のざっくりとした概要であった。ここからはいつも通りの妄想考察のパートである。

 記載論文で示された通り、首長竜は複数の系統から淡水環境へと進出したわけだが、その原因は何だったのだろうか?ヒントになりそうなものは現状発見されている淡水生首長竜が未成熟な個体か、または小型の種であるという情報である。論文中では河川という狭い環境が首長竜のサイズを制限したのではないかという仮説が提唱されており、逆説的に言えば大型海棲爬虫類は河川環境への適応が難しかったのではないかと考えられる。実際問題、フルヴィオネクテスが産出したダイナソーパーク層を流れていた河川は川幅200m、最大水深5~25mと推定されているのだが、ここにエラスモサウルスやモササウルスなどの10m級の大型海棲爬虫類を入れたら生息空間的な問題で窮屈この上ないだろう。そもそも大型海棲爬虫類を養えるだけの食料資源が河川にあるとも考えづらい。大型種にとっては河川という環境は狭いうえに餌が少ないという、住んだところで利益の出ない環境であると考えられるだろう。逆に言えば、小型種であれば河川であってもある程度問題なく生息できるうえ、競合相手あるいは天敵となりうる大型種が存在しない安全な場所と言えるだろう。

 というわけで、首長竜の複数系統が淡水環境へと進出した原因については、大型海棲爬虫類との競合を避けるためではないか?と考えることができそうだ。この仮説なら、淡水環境でできた地層から産出する首長竜に未成熟個体が存在するということにもある程度説明ができそうだ。幼体のうちは敵の少ない河川で比較的安全に成長し、無事に成長したら海へ戻るという生態があったのかもしれない。

 そしてこれに関連してもう一つの疑問が生じる。首長竜は淡水環境へ進出していたことが明らかである。モササウルス類も実はダイナソーパーク層の河口堆積物からプリオプラテカルプスが産出しているようだ。であれば、魚竜はどうだったのだろうか?現時点において確実に淡水環境から産出したとされる魚竜は報告されていない(はずである)。しかしながら現在においても淡水環境で生息するカワイルカが存在する。加えて首長竜が淡水へ進出した理由と考えられる「大型海棲爬虫類との競合を避けるため」という理論は魚竜にも当てはまるはずである。魚竜の生息期間は三畳紀前期から白亜紀「中期」までの約1億7000万年間であり、その間多くの魚竜は小型から中型の海棲爬虫類であり続けた(タラットアルコンやテムノドントサウルスのような頂点捕食者も輩出したが)。であれば将来的に河川環境に進出した魚竜の化石も発見されそうである。

 

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 以上、ダイナソーパーク層から産出した淡水生エラスモサウルス類のフルヴィオネクテスの記載論文紹介と、淡水域に進出した海棲爬虫類についての妄想を繰り広げてきた。海棲爬虫類の花形と言えばエラスモサウルスやモササウルスといった、大海を制した大型種であるだろうが(西部内陸海路が大海かと問われると微妙なところではある)、当然のように小型種もわんさか存在するわけであり、そういった小型種の生態や系統についての研究もきわめて面白い。そうでなくても海棲爬虫類というのは古生物全体で見れば知名度は高い方だが、それでも有名な種は固定メンバーが各分類群15~20種ぐらいがいいところではないだろうか。海棲爬虫類たちもまだまだ未知なところが多くあり、これからも新発見が期待できそうな分野である。

 フルヴィオネクテスのような淡水生エラスモサウルス類は、どの時代まで生息していたのだろうか?現時点においてダイナソーパーク層以外のララミディアから海棲爬虫類の化石が産出したという話は見つけていない。とはいえフルヴィオネクテスらのように、大型海棲爬虫類との競合を回避するために河川へと進出した種がいるとすれば、ダイナソーパーク層以降の時代、すなわち白亜紀後期マーストリヒチアンにも淡水生エラスモサウルス類がいた可能性はあり得る。案外ヘルクリーク層あたりからひょっこり出てくるかもしれないし、全く予想もしないところから産出することもあるだろう。あくまでの可能性の話だが、意外と中生代を通じてそこいらじゅうの河川や湖沼に海棲爬虫類が進出していたかもしれない。中生代の淡水環境も、まだまだ新発見が待っていそうである。

 

 以上、そんなわけで2周年記念記事でした。1周年記念記事よりもクオリティが悲しいことになっている件についてはご了承ください。お付き合いいただく読者の皆様のおかげでメガロサウルス上科の記事を上げた直後に総閲覧数が1000回という大台を超えることができました。この場を借りて感謝申し上げます。今後ともネタが尽きない限り緩く続けてまいりますので、今後ともお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

 

参考文献

Campbell JA, Mitchell MT, Ryan MJ, Anderson JS. 2021. A new elasmosaurid (Sauropterygia: Plesiosauria) from the non-marine to paralic Dinosaur Park Formation of southern Alberta, Canada. PeerJ 9:e10720 

*1:カナダのベアポウ層から産出したエラスモサウルス類。全長約5mと小さく、頚椎の数は40個程度と、エラスモサウルス類の中ではかなり首が短い。

*2:ナコナネクテスと同じベアポウ層から産出したエラスモサウルス類。2003年にフタバスズキリュウでおなじみ佐藤たまき氏によって記載された。全長7~9mと推定されている。