古生物・恐竜 妄想雑記

恐竜好きないち素人による妄想語り置き場

滄竜、目覚める

 「ついに来たか」と「やっぱり来たか」が同居した瞬間であった。2019年に国立科学博物館で突如として一般公開された和歌山県の鳥屋城層から産出したモササウルス類がついに新属新種として記載されたのである(記載論文の出版が12月12日、和歌山県立自然博物館による記者発表は翌13日)。実のところ存在自体は2019年より以前の時点で界隈でぼちぼち噂にはなっており、そして噂の時点でむかわ竜(現カムイサウルス)に匹敵しうるとんでもない存在であることは知られていた。『恐竜博2019』で展示された際にはモササウルス類としては特異な特徴がすでにいくつか開示されていたが、記載論文と記者発表で公開された内容はモササウルス類としては特異、どころかモササウルス類として世界初をいくつもひっさげることになった。そんなわけで今回は特別回として新属新種として記載された和歌山県鳥屋城層産のモササウルス類、メガプテリギウス(Megapterygius wakayamaensis。和名は記者発表時に「ワカヤマソウリュウ*1」と命名された)のちょっとした紹介と、筆者個人の感想(今回はこれがほぼ8割)である。

メガプテリギウスの産状レプリカ。左下のブロックに頭骨が、中央の大きなブロックに前脚のヒレと胴体が、右端で見切れているブロックは後脚のヒレが含まれている。
『恐竜博2019』にて筆者撮影。



 

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 メガプテリギウスが産出した外和泉層群についてだが、少なくとも和歌山県の有田川周辺と四国東部にも分布しているらしい。名前が似ている和泉層群との関係が気になるところだが、とりあえず過去には対比されたことがあるらしいことしか分からなかった。明確な情報が得られた和歌山県有田川周辺において外和泉層群は下位から、三尾川層(アルビアン後期~セノマニアン)、北谷層・上松原層(チューロニアン)、井関層・松原層(コニアシアン)、二川層(サントニアン~カンパニアン)、鳥屋城層(カンパニアン*2)と区分されている。このうちメガプテリギウスが産出したのは外和泉層群分布のちょうど真ん中にある鳥屋城山一体に露出する鳥屋城層である。鳥屋城層からはアンモナイト二枚貝、巻貝、ウニ類などの海洋無脊椎動物の化石が豊富に、なおかつ変形も少ない立体的な化石が産出している。堆積環境については正直情報不足もいいところなのだが、岩相がシルト岩、砂岩、砂泥互層であることと、産出した化石の種類からして、大陸棚ぐらいの浅海と考えていいだろう。

 

 以上が和歌山県有田川周辺に分布する外和泉層群および鳥屋城層の概要であった。ここからは和歌山県立自然科学館は公表したプレスリリースに基づきながら(何せ論文にアクセスできる身分ではないので)、メガプテリギウスの特徴についての紹介と感想をグダグダ語っていきたい。

①アジアにおいて初となるモササウルス類の全身骨格であること

 これについては筆者がTwitterで先走ってしまったのだが、やはりその通りだったようだ。その前にまずは日本国内におけるモササウルス類事情についてまとめておこう。

 日本において命名されたモササウルス類は和歌山県立自然科学館が公表したところ、メガプテリギウスで5種目だそうだが、うち4種類は北海道で産出したモササウルス・ホベツエンシス(Mosasaurus hobetsuensis)、モササウルス・プリズマティクス(Mosasaurus prismaticus)、フォスフォロサウルス・ポンペテレガンズ(Phosphorosaurus ponpetelegans)(以上三種はこちらのサイトで紹介されている)、タニファサウルス・ミカサエンシス(Taniwhasaurus mikasaensis)であろう。だが北海道から産出した4種はすべて既知属の新種という扱いであり、正真正銘新属新種として記載された国内産モササウルス類はメガプテリギウスが第一号である(正直、和歌山県はこのことをもっと宣伝してもいいと思う)。

 そしてこれが日本のみならずアジア全体でさえ当てはめられるのだ。環太平洋地域におけるモササウルス類の空白域を埋めた形になり、モササウルス類の放散を考える上で重要な存在となったのである(同じことをフタバスズキリュウでも言った気がする)。

②モササウルス類2例目となる両眼視が確認されたこと

 頭骨の眼窩付近がやや左右に広がっているらしく、これがメガプテリギウスが両眼視が可能だった証拠となっている。モササウルス類における両眼視の確認第一号はフォスフォロサウルス・ポンペテレガンズであるが、フォスフォロサウルスがハリサウルス亜科に分類されるのに対して、メガプテリギウスはモササウルス亜科に分類されている。つまりこれは異なる二つの系統で独自に両眼視が獲得されていたことを意味している。両眼視の獲得が東アジア限定のものだったのか、あるいは案外ほかの地域でも見られるものなのかは今後の研究次第だろうが、モササウルス類の適応能力の高さを物語る一例となった。

③前脚のヒレが推進器官となり、後脚のヒレはバランス器官、尾は舵の役割を持つと推測されたこと

 2010年のプラテカルプス、2013年のプログナトドンの研究以降、モササウルス類の復元には三日月形の尾びれがつきものとなったわけだが、それ以前からモササウルス類にとってのメイン推進器官は尾びれであると推測されていた。

 ところがメガプテリギウスについては全く違った。可動域の大きな上腕骨や、前脚へと伸びる発達した背筋などから、メガプテリギウスの推進器官は前脚のヒレであることが指摘されたのである。さらに後脚のヒレは水中で姿勢を安定させるためのバランサーとして使用され、尾びれに関しては舵としての役割であったことが推測された。前脚ヒレ駆動のモササウルス類というのは世界初の事例であり、これもまたモササウルス類の多様性の高さを示す結果となった。

④背びれの存在が推定されたこと

 椎骨の神経棘は基本的に斜め後ろへと伸びるのがモササウルス類の基本ではあるのだが、第17~21胴椎の神経棘は前方へと屈曲している。この特徴は現生のイルカでも確認できる特徴だが、イルカにおいては前方へ屈曲した神経棘を土台として背びれが伸びている。ここからメガプテリギウスにおいても背びれが伸びていた可能性がモササウルス類で初めて言及されたのである。

 そしてその結果を受けて復元されたメガプテリギウスだが、背びれに加えて小顔であることも相まって、見た目は完全にただの魚竜であった。先述のプラテカルプスの研究以降、モササウルス類の復元画はウタツサウルスやチャオフサウルスのような基盤的魚竜類に似たようなものとなっていたことを受け、古生物ファンの間では「あと少しモササウルス類に時間が許されていたら、完全に魚竜のような姿に進化していたかもしれない。」と想像されていた。メガプテリギウスの姿はまさに古生物ファンが想像していた魚竜によく似た姿であったのだ。モササウルス類が出現してからK-Pg境界事件までの猶予はわずか約2000万年しかなかったのだが、モササウルス類が完全に魚竜のニッチに収まるまで十分すぎる時間だったのだろう。

メガプテリギウスの復元図と化石配置図。和歌山県立自然科学館プレスリリース(2023)より引用。

 

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 以上、鳥屋城層モササウルス類あらためメガプテリギウスについてあれやこれやと好き勝手語ってきた。情報が出回り始めた時から記載命名が楽しみな存在ではあったが、ふたを開けば日本初を1つ、アジア発を1つ、世界初を2つもひっさげての記載というとんでもない存在となった。前述の通り、モササウルス類に許された時間は2000万年という短い時間ではあったが、その2000万年の間に他海棲爬虫類に匹敵しうるだけの多様化と放散を遂げていたことが改めて示された。メガプテリギウスは世界的に見ても重要な存在であり、今後のモササウルス類研究においても重要な存在になることは間違いないだろう。

 メガプテリギウスが見ていた当時の東アジアは、どのような世界だったのだろうか?イノセラムスが住む海底を見下ろしながら、アンモナイトが泳ぐ海を泳いでいたことは間違いなさそうだが、それ以外の情報が圧倒的に足りなすぎる。同時代にいたであろう首長竜類やウミガメなどとの関係も気になるところである。外和泉層群の研究、鳥屋城層の研究が今後進んでいけば、メガプテリギウスが泳いだ世界が見えてくるだろう。7000万年ぶりに目覚めたメガプテリギウスは今後、文献の大海を泳ぎ続けることになるはずだ。

メガプテリギウスの実物化石。当時は未記載のモササウルス類の扱いだった。『恐竜博2019』にて筆者撮影。(ブログのために振り返ったらまともな写真がろくになかった)

 

参考文献

有田川町産出のモササウルス類は新属新種!!-これまでの学説を覆す新たな発見-,和歌山県立自然科学館プレスリリース

 

小原正顕,2021,博物館と発掘現場で体感する日本一のモササウルス化石,地球科学75 巻,147 ~ 150

御前明洋,2016,和歌山県有田川地域の外和泉層群二川層より産する上部白亜系サントニアン階‐カンパニアン階軟体動物化石,化石 100,125‒135

土屋健,2015,白亜紀の生物 下巻,技術評論社,175p

中田健太郎,2021,海竜 恐竜時代の海の猛者たち,福井県立恐竜博物館,109p

*1:漢字では「和歌山滄竜」となる。めったに見ない「滄竜」はモササウルス類の日本名称だそうだ。

*2:2009年の研究では、鳥屋城層を下位より中井原シルト岩部層,長
谷川泥質砂岩部層及び伏羊砂岩部層の3 部層に区分したうえで、年代を下位からカンパニアン中期、同後期、マーストリヒチアンと対比している。