古生物・恐竜 妄想雑記

恐竜好きないち素人による妄想語り置き場

メガロサウルス科よ、さようなら……?

 気が付けば2月の半ばである。最近また仕込みを始めたため、ブログの更新が滞りがちになってしまうが、ご了承願いたい。

 昨年の5月にスピノサウルス科の伝統的一員であるイリタトルの再記載が行われた。論文の主題はイリタトルの頭骨要素の再記載と機能形態の推測であり、イリタトルの下顎が横に広げるような動きができたことが示された。

 そこではスピノサウルス科のみならず大多数の獣脚類―――スピノサウルス科を含むメガロサウルス上科、アロサウルス上科、コエルロサウルス類など、文字通りほぼすべての獣脚類―――が系統解析にかけられたのだが、その結果はすさまじいものだった。アスファルトヴェナトルの記載論文で指摘されたカルノサウルス類の復活が肯定されたこともそうだが、従来のメガロサウルス科がスピノサウルス科の基底部で側系統群と化したのである。つまるところ従来のメガロサウルス科が崩壊したことを示しており、余りの衝撃に筆者のブログでは速報的にこれを掲載した。

 とはいえ所詮、速報は速報でしかない。当然ながら勘違いや読解力不足も否めないわけである。そんなわけで今回はイリタトル再記載論文よりスピノサウルス科の系統、メガロサウルス科の側系統化の話を取り上げて解説していこうと思う。これに合わせて、筆者が拾ったとある論文を紹介しながら、メガロサウルス科とスピノサウルス科との系統について考えてみたい。

 

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 さて、手元に準備していただきたいのは先述したイリタトルの再記載論文である(いつも通り、参考文献として掲載する)。頭骨再記載の部分は読み飛ばしていただいて、とりあえず系統について論じている「Discussion」の項目を開いていただきたい。

 まずはいつもの倹約分析(もっとも分岐が少ない系統を見出す解析方法)に基づく系統解析結果からである。ここではアロサウルス上科とメガロサウルス上科からなる単一の系統群であるカルノサウルス類が指示された。これについてはアスファルトヴェナトルの記載論文で導かれた系統に沿う形となったが、ピアトニッキサウルスがアロサウルス上科の基盤に位置していることは特筆すべきことだろう(アスファルトヴェナトルはその次の段階に置かれた)。

 そしてメガロサウルス上科であるが、まずはメガロサウルス上科の最基盤にモノロフォサウルスが配置された。そしてそれ以降の派生的なメガロサウルス科の恐竜は単一の系統群として回収されることなく、スピノサウルス科へと続く側系統群として現れたのである。より具体的にはモノロフォサウルスを最基盤としてストレプトスポンディルス、レシャンサウルス、ドゥリアヴェナトルが次段階で多系統、ピヴェテアウサウルス、マグノサウルス、エウストレクトスポンディルス、ドゥブレウイロサウルスが多系統としてまとまった分類群が次段階で現れ、アフロヴェナトルが単独で現れたのちにトルボサウルス、ウィエンヴェナトル、メガロサウルスの分類群がスピノサウルス科と姉妹群として登場する。正確な情報については論文の図を見ていただきたいのだが、ひとまずここではメガロサウルス科の各属がスピノサウルス科へと進化する一連の流れの中にいると解釈された、という風に理解していただきたい。

倹約分析に基づくカルノサウルス類の系統図。Schade(2023)より引用。

 

 もう一つ、倹約分析とはことなるベイズ分析という方法で系統解析が行われた。こちらの系統解析ではモノロフォサウルスがメガロサウルス上科には含まれず、カルノサウルス類の姉妹群として現れた。そしてメガロサウルス上科は大きく2つの分類群に分けられた。1つ目はドゥリアヴェナトルからトルボサウルス―ウィエンヴェナトルまで連なる一連の側系統群として現れたメガロサウルス科、2つ目はドゥブレウイロサウルスからエウストレクトスポンディルスまで連なる側系統群と従来のスピノサウルス科で構成された分類群である。これにより、メガロサウルス科の一部あるいは全ての恐竜が従来考えられていた以上にスピノサウルス科に近縁であったこと、メガロサウルス上科からスピノサウルス科までのゴースト系統約3500万年間のうち、いくらかは埋め合わせることができそうだということが明らかになったのである。

ベイズ分析に基づくカルノサウルス類系統図。Schade(2023)より引用。

 

 メガロサウルス科とスピノサウルス科が(それこそメガロサウルス上科として分類されるほどに)近縁な関係であるということは以前から知られていたが、側系統群として示されると衝撃的なものがある(倹約分析にせよベイス分析にせよ、従来のメガロサウルス上科が大きく変わることは同じである)。とはいえこの系統解析の結果が一切予兆のない突然のものかと言えば、どうも違うようだ。ここで筆者が英語版Wikipediaから拾ってきたオープンアクセスの論文を紹介しよう。

 論文の内容としてはポルトガルの中部ジュラ系バトニアン階であるヴァーレ・デ・メイオス(長ったらしいので以下VMとする)から産出した一連の足跡化石の報告である。海岸線に付けられた足跡の大きさは45cmであり、その形状から獣脚類と考えられている。この時代のヨーロッパにおける大型獣脚類といえばことごとくがメガロサウルス科であるため、足跡の主もメガロサウルス科であろうと断定された。

 注目は足跡と海岸線の方向だ。一連の足跡化石は当時の海岸線に対して垂直に伸びていたのである。このことはメガロサウルス科の獣脚類が単純に移動経路の一つとして干潟を歩いていたのではなく、明らかに目的を持って干潮時の干潟を横断していたことを示している。そしてその目的とは、干潟に取り残された魚や(おそらくアンモナイトなどの)無脊椎動物、その他脊椎動物の捕食であると推測されたのである。論文は追えなかったがどうやらメガロサウルス科のポエキプレウロンの胃内容物に魚があったらしく、VMサイトの足跡化石から推測される行動と胃内容物は一致している。このことから、メガロサウルス科はスピノサウルス科と同様に陸上脊椎動物だけでなく魚などの海洋生物も捕食する日和見的な捕食者だったのではないかと結論付けられたのだ。

ヴァーレ・デ・メイオスの足跡化石に基づくメガロサウルス類の生態復元画。Razzolini(2016)より引用。

 

 そう言えばブログを書いている際に思い出したのだが、スピノサウルス科の起源がヨーロッパにあることを主張した論文がこの5年以内で2本ほど発表されている。1つ目が2021年に発表されたイギリスのウェセックス層から産出したスピノサウルス科の新属新種であるケラトスコプスとリパロヴェナトルの記載論文、2つ目が2022年に発表されたポルトガルのパポセコ層から産出したスピノサウルス科の新属新種であるイベロスピナスの記載論文である。どちらの論文においてもスピノサウルス科の起源がヨーロッパにあり、そこからアフリカやユーラシア大陸へと放散していったと結論付けている。ましてやイベロスピナスの記載論文においてはメガロサウルス科の多くがヨーロッパに生息していたことを取り上げたうえでスピノサウルス科ヨーロッパ起源説を主張しているのだ。これらの論文が発表されたとき、正直筆者は化石の保存バイアスや産出バイアスがかかった結果だろうと考えていたわけだが*1、こうしてメガロサウルス科とスピノサウルス科の(先祖と子孫の関係という可能性すらある)密接な関係性を見せつけられるとバイアスと言い捨てることはできないようである。

 

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 メガロサウルス科のすべて、あるいは一部がスピノサウルス科の側系統群であったという仮説が事実ならば、メガロサウルス科はなぜ水辺への依存度を強めたのだろうか?思い当たる節はアロサウルス上科の出現と台頭である。メガロサウルス科が全盛期を極めたジュラ紀中期には、すでにピアトニッキサウルスやアスファルトヴェナトルといった基盤的アロサウルス上科が出現していた。彼らはこの後ユーラシアおよびゴンドワナ全域に勢力を拡大し、以降白亜紀「中期」まで頂点捕食者として居座り続けることになる。それに対してメガロサウルス科はジュラ紀後期のトルボサウルスを最後に絶滅するわけだが、おそらくは大型獣脚類のニッチのほとんどをアロサウルス上科に占領され、メガロサウルス科が入り込む余地がなくなってしまったのだろう。その一方でメガロサウルス科が主に生息していたヨーロッパは当時テチス海沿岸の多島海となっており、海洋資源には困らない環境だったに違いない。多島海という海洋資源豊富な環境でアロサウルス上科とうまいこと住み分けすること成功した結果、白亜紀まで生き残ったのがスピノサウルス科へとつながる系統だったと考えることもできそうだ。

 とはいえ、メガロサウルス科とスピノサウルス科の間には時間的空白があることもまた事実である。先述のイベロスピナス記載論文においてはジュラ紀後期におけるスピノサウルス科と断定できる化石が発見されていないことが嘆かれており、この期間の空白が埋まらないことには何とも言えないだろう。

 

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 以上、昨年発表されたイリタトルの再記載論文に掲載されたメガロサウルス上科の系統図紹介とそれらにまつわる論文紹介、ついでに筆者の妄想語りを展開してきた。事実上メガロサウルス科が崩壊するという衝撃的な系統図が示されたが、実際のところはイベロスピナス記載論文で嘆かれている通り、ジュラ紀後期から白亜紀初期にかけてメガロサウルス上科についてはほとんど情報がないのが現状である。ジュラ紀中期の頂点捕食者として繁栄したメガロサウルス科がヨーロッパ(少なくともテチス海沿岸であることは確定だろう)でどのような進化をしたのか、スピノサウルス科がどのように出現したのかが明らかになるのは今後の発見次第、これからのお楽しみという話である。

 カルノサウルス類という共通先祖からジュラ紀中期に袂を分けたメガロサウルス上科とアロサウルス上科は、その後白亜紀後期序盤の9000万年にわたり全大陸で共存し続けた。しかし白亜紀「中期」に起きた大量絶滅により、アロサウルス上科とメガロサウルス上科は完全に消え去ることになる。そして彼らの後釜にはアベリサウルス科とコエルロサウルス類が居座ることになった。もしカルノサウルス類が白亜紀「中期」を潜り抜けることができたならば、彼ら両分類群はK-Pg境界までたどり着くことができただろうか?この疑問には永久に答えが出ないだろうが、確かなことは我々がよく知る恐竜時代とは別の世界があっただろうということだけである。

 

参考文献

Barker, C.T., Hone, D.W.E., Naish, D. et al. New spinosaurids from the Wessex Formation (Early Cretaceous, UK) and the European origins of Spinosauridae. Sci Rep 11, 19340 (2021). https://doi.org/10.1038/s41598-021-97870-8

Mateus O, Estraviz-López D (2022) A new theropod dinosaur from the early cretaceous (Barremian) of Cabo Espichel, Portugal: Implications for spinosaurid evolution. PLoS ONE 17(2): e0262614. https://doi.org/10.1371/journal.pone.0262614

Razzolini, N., Oms, O., Castanera, D. et al. Ichnological evidence of Megalosaurid Dinosaurs Crossing Middle Jurassic Tidal Flats. Sci Rep 6, 31494 (2016). https://doi.org/10.1038/srep31494

Schade, Marco, Rauhut, Oliver W. M., Foth, Christian, Moleman, Olof, and Evers, Serjoscha W. 2023. A reappraisal of the cranial and mandibular osteology of the spinosaurid Irritator challengeri (Dinosauria: Theropoda). Palaeontologia Electronica, 26(2):a17.
https://doi.org/10.26879/1242
palaeo-electronica.org/content/2023/3821-the-osteology-of-irritator

*1:ヨーロッパ起源と考えられていた分類群がのちの発見で異なる地域が起源だったというのはそこそこある。例を挙げると中生代に繁栄した頭足類のベルムナイトは北ヨーロッパ起源とされていたところで南三陸町や中国の最上部三畳系から下部ジュラ系から化石が産出した。このためベルムナイトの起源についてはとりあえず振出しに戻ったようである。