古生物・恐竜 妄想雑記

恐竜好きないち素人による妄想語り置き場

古代玉渓の盾

 ゴンコケンに続いて6月記載組のベクティペルタについての解説妄想を展開しようと思ったのだが、どうもオープンアクセスの期間が切れたようである。悲しみを覚えた筆者であるが幸いなことにネタはまだいくらでも存在するのだ。そんなわけで今回は2022年3月に記載された基盤的装盾類(と呼ぶべきではない気もするが。詳しくは後述)であるユクシサウルス(Yuxisaurus kopchicki)を紹介していこう。前置きが全く思い浮かばないので早速本編である。

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 ユクシサウルスが産出したのは中国南西部雲南省に分布する下部ジュラ系の逢家川累層(Fengjiahe Formation)である。時代は生物相からヘッタンギアンからシネムーリアン(201.3~190.8Ma)とされていたが、近年では地磁気の面から測定した年代でシネムーリアンからトアルシアン(190.8~174.2Ma)という年代が得られている。いずれにせよとりあえずジュラ紀前期であること、トアルシアン海洋無酸素事変よりも前の時代であるということは確定であるようだ。同層からはルーフェンゴサウルスやユンナノサウルスなどの原竜脚類(昔で言うところの「古竜脚類」)などが産出するほか、シュアンバイサウルスと名のついたシノサウルスに似た獣脚類が産出している*1。似たような生物相はジュラ紀前期の各地(ディロフォサウルスが産出するカイエンタ層など)で確認されており、超大陸パンゲアの影響力がまだ強かったことをうかがわせる。

 獣脚類や原竜脚類など、後の時代までつなが区分類群がすでに出現していたジュラ紀前期の世界だが、すでに基盤的装盾類はスクテロサウルスやスケリドサウルスなどの形で各地に出現していた。ところが東アジアではビエノサウルスおよびタティサウルスなどの断片的な化石しか産出しておらず、事実上東アジアの装盾類の情報はごっそり欠けていたのである*2。そこにきてのユクシサウルスは(スケリドサウルスに比べれば断片的だが)東アジアでは初めてまともな系統解析が可能な基盤的装盾類になった。それではユクシサウルスの紹介である。

 

 

ユクシサウルス骨格図。Xi(2022)に掲載された骨格図をトレースし、産出部位を白、未産出部位を灰色で色分けた。

 ユクシサウルスのホロタイプ標本(CNEB 21701)は1個体分の主に前半身からなり、産出部位は頭骨の大部分と下顎の後半部、4つの頚椎、5つの胴椎、左肩甲骨、右烏口骨、右上腕骨、左大腿骨遠位、120以上の皮骨である。頭骨や頚椎の癒合具合から成体であると考えられている。固有の特徴は主に頭骨を中心に複数が確認されており、これ以外にも頚椎や大腿骨にも固有の特徴が確認された。前後肢はスケリドサウルスやエマウサウルスよりも頑丈なつくりであり、全体的にがっしりとした体つきだったようだ。

 産出した各部位は必然的にスケリドサウルスやエマウサウルスなどの基盤的装盾類やそれ以外の派生的装盾類などと比較検討が行われていた。上顎要素のほとんどはスケリドサウルスなどの基盤的装盾類に酷似していたが、頬骨に関してはより派生的な鎧竜類に酷似しているようだ。一方で下顎や歯には他の装盾類には見られない独自の特徴が確認されている。頚椎や胴椎も基盤的装盾類との比較が行われたが、やはりこちらもスケリドサウルスなどに形質が似通っている。

 先述の通り、ユクシサウルスのものと考えられる皮骨が120以上が産出している。生存時の位置そのままというわけにはいかなかったが、他装盾類との比較からある程度の配置は推測されている。首や肩には厚さの薄い三角形の皮骨、より厚い三角形の皮骨、円錐形の皮骨が配置されていたようだ。胴体には楕円形かつ稜線が発達した皮骨が、おそらく尾まで配置されていた。胴体はこれらの大きな皮骨の間に小さな皮骨が配置されていた可能性を推定されている。

 骨格各所に基盤的装盾類の特徴がみられたユクシサウルスは、系統解析でも順当な結果が得られた。ユクシサウルスはステゴサウリア(Stegosauria)と分岐した直後のアンキロサウロモルファ(Ankylosauromorpha)の基底部で、エマウサウルスと姉妹群という扱いでスクテロサウルスの次の段階に位置付けられることになった。ユクシサウルスのみならず、本論文ではかつて「スケリドサウルス科」とも呼ばれた基盤的装盾類の系統関係についても再検討を行っている。その結果スクテロサウルスからスケリドサウルスまでの装盾類は、ステゴサウリアとアンキロサウロモルファの分岐前に位置付けるよりも、アンキロサウロモルファの基底部に位置付ける仮説がより強く支持される結果となったのである。詰まるところ、彼らは「基盤的装盾類」ではなく「基盤的鎧竜類」と呼んだ方が適切という話になったのである*3。これによってユクシサウルスをはじめとした基盤的鎧竜類はジュラ紀前期のうちに急速に世界中へと勢力を拡大していたことが明らかになったのである。

ユクシサウルスを含めた基盤的アンキロサウロモルファの系統図。Xi(2022)より引用。

 

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 以上がユクシサウルスの概要である。ここからは少し、ユクシサウルスというか基盤的鎧竜類(旧スケリドサウルス科)について個人的見解を少し考えていきたい。

 ジュラ紀前期にはユクシサウルスのような基盤的鎧竜類が主にユーラシア大陸を中心にして広く分布していた。胴体を覆う楕円形の皮骨や頂点のとがった三角形の皮骨などはのちの派生的鎧竜類にもみられる形状だが、一つ一つの皮骨は過度に長かったり、大きくなったりといったことはない。尾の先端にはまだ装飾はなく、鎧竜類としてはかなりシンプルな見た目である。ジュラ紀前期という鳥盤類にとってかなり初期の時期であるということを考えればこれほどシンプルな形質であることも納得いくのだが、それにしてもシンプルだ。

 これはおそらく、当時の捕食者に合わせたものなのだろう。ジュラ紀前期と言えば獣脚類が急速に大型化した時代ではあるのだが、それでも最大全長は6mどまりである。さらに言えばその体躯も華奢であり、ディロフォサウルス以降の獣脚類でようやっと顎が頑丈になってきたか、といったところである(そのディロフォサウルスでさえ、基本的な体つきは巨大化したコエロフィシスと言えそうな華奢さである)。捕食者側がこれであれば被食者側は首周りを防御できる程度の武装と、胴体への攻撃を最低限はじくことができる防御のみで済むはずである。鎧竜類の重武装化が進んだのはジュラ紀後期あたりであり、この時代になれば10m級の捕食者がうようよ出現している。あるいは捕食者が要因ではなく、種内闘争などの行動様式が複雑化していった結果、重武装に進化していったのかもしれない。こうしてみるとやはりジュラ紀前期という時代は本格的に恐竜時代が始まったのだと(なんとなく)実感できるものだ。

 

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 以上、ユクシサウルスの紹介と筆者の妄想をグダグダと語っていった。論文内でも語られたが、ユクシサウルスの記載によって基盤的鎧竜類(あるいは基盤的装盾類)の勢力が東アジアまで拡大していたこと、勢力拡大がジュラ紀前期という早い段階で達成されていたことが示された。ジュラ紀の装盾類と言えばどうしてもステゴサウルスなどの剣竜類の印象が強いが、こうしてみると意外なほど鎧竜類も奮闘していたことがうかがえる。装盾類の初期進化と進化については(『恐竜博2023』の図録などで嘆かれている通り)いまだにわからないことが多い。特にステゴサウルス類とアンキロサウルス類の分岐については完全に振り出しに戻された感は否めないが、これもそのうち新しい情報が得られるに違いない。

 ユクシサウルスをはじめとしたジュラ紀前期に全盛期を迎えた基盤的鎧竜類、原竜脚類、基盤的獣脚類はいずれも、ジュラ紀前期末に起きたトアルシアン海洋無酸素事変の影響を受けて軒並み絶滅することになった。とはいえ命脈が完全に断たれたわけではなく、いずれの分類群も一部派生的な恐竜は次の時代へと子孫をつなげた訳である。ユクシサウルスら基盤的鎧竜類もまた、後の時代にはさらに重武装を発達させ、最終的には中生代の終焉に立ち会うまでに至ったのである。

 

参考文献

Xi Yao, Paul M Barrett, Lei Yang, Xing Xu, Shundong Bi (2022) A new early branching armored dinosaur from the Lower Jurassic of southwestern China eLife 11:e75248

*1:2017年に記載されたのはいいのだが、2019年にシノサウルスのジュニアシノニムである可能性が指摘された。

*2:なお、ここにあげた恐竜はいずれも装盾類であるということまでしか分からない断片的な物であり、2007年や2019年などに疑問名として扱うことが提唱されていたようだ。当然ながらユクシサウルスの記載論文でもいないものとして扱われている。

*3:実のところこの話はスケリドサウルスの再記載(David 2021)時点で提唱されており、『恐竜博2023』のスケリドサウルスに付けられたキャプションでも同様の内容が言及されていた。なお図録にはこの話は掲載されておらず、スケリドサウルスは基盤的装盾類という扱いになっている。ついでに図録にはユクシサウルスの名前も掲載されている。