古生物・恐竜 妄想雑記

恐竜好きないち素人による妄想語り置き場

砂漠に泳ぐハンター

 水棲恐竜の代名詞と言えば、今やスピノサウルスだろう。待ち望まれた追加標本の発見後、2014年に発表された四足歩行スピノ、通称「セレノスピノ」は各所で議論を巻き起こした。そこから8年が過ぎた現在もなお、スピノサウルスの姿は変わり続け、今なお議論は止みそうにない。そんなさなかの2017年に颯爽と記載されたのがモンゴルのジャドフタ層―――ヴェロキラプトルやシチパチなどが産出した地層―――から産出したハルシュカラプトル(Halszkaraptor escuilliei)である。記載と同時にハルシュカラプトル亜科が設立され、編入されたマハカラとフルサンペスとともに、東アジアにおけるドロマエオサウルス科の多様性を示すことになった。そんなハルシュカラプトル亜科に2022年12月、新たな仲間が加わることになる。そんなわけで今回はハルシュカラプトル亜科の新属新種、ナトヴェナトル(Natovenator polydontus)と、ハルシュカラプトル亜科については筆者がぼんやり考えていることについてグダグダ語っていこう。なお今回は前回以上に輪をかけていまさらな話をしていくのだが、それについてはご理解ご了承の上読み進めていただきたい。

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 ナトヴェナトルが産出したのはモンゴル、ゴビ砂漠はヘルミンツァフに分布するバルンゴヨット層である。正直に言って聞きなじみのない地層であるにもかかわらず、記載論文では層序的な話はいっさいでてこない。一応、同エリア同層から産出したアンキロサウルス類の記載の際には上部白亜系、すなわち白亜紀後期の中期から後期カンパニアンとされている。ハルシュカラプトルが産出したジャドフタ層もおおむねカンパニアンであり、バルンゴヨット層は上位にネメグト層(マーストリヒチアン)が接している*1。このため時代的にはジャトフタ層よりも新しい地層であるようだ。完全な頭骨を含めた全身の大部分が化石として産出した(ただし左後脚がごっそり欠落していたり、右前脚の肘から先もないなど、けして完全な化石ではない)。頭骨が若干変形を受けている以外は、変形も少なくおおむね生存時の形態をほぼ反映していると言っていいだろう。

 このように完全な化石が産出したためか、原記載論文の割には割合に詳細な骨学的記載が行われた。ホロタイプ標本(MPC-D 102/114)の記載に基づき、ナトヴェナトルの固有の特徴はおもに以下の通りとされている*2

・前上顎骨歯13本が密集する一方で、上顎前歯は3本と減少している

・前後に長い外鼻孔(前眼窩窓より前の頭蓋骨の30%を占める)

・頚椎が非常に細長い

ナトヴェナトル骨格図。Lee(2022)より引用

 それではナトヴェナトルの骨格を見ていこう。頭骨はわずかに圧縮を受けているが、おおむね原形を保っている美しい保存状態である。前後に長い外鼻孔はナトヴェナトルの特徴の一つだが、この特徴は他のドロマエオサウルス類には見られない代わりに、イクチオルニスなど(おそらく魚食性)の鳥類に共通してみられているようだ。頭骨の外形や吻部に見られる多数の穴(神経や血管を通す穴と考えられている)、小さいながらも密集した歯などは他のハルシュカラプトル亜科(マハカラとフルサンペスの産出量が大変にショボい都合上、ほぼハルシュカラプトルのみが比較対象)と共通しているが、外鼻孔がより後方に位置されていたり、前上顎骨歯の数が13本(ハルシュカラプトルは11本)となっていたりするなど、ハルシュカラプトルとは異なる形質が多々確認されている。

 頚椎は第5頚椎が欠損しているが、それ以外はきれいに産出した。一つ一つの頚椎が長く伸びているため、他ドロマエオサウルス類よりも首は長く、胴体の長さ(胴椎の合計)よりも長い首をしていたようだ。胴椎および肋骨の全体的な形状(流線形)や細かい特徴はヘスペロルニスなどの潜水を行う鳥類と酷似していた。近位尾椎の形状はハルシュカラプトル亜科に典型的な形状をしていたようである。

 前後肢はあまり産出していないためか、記述は割とあっさりしたものになっている。上腕骨は遠位方向に平らかつ全体の比率としてはやや小さめとなっており、第3中手骨は頑丈であるなど、ハルシュカラプトル亜科に共通の特徴が確認されている。大腿骨も後方に隆起が存在しており、やはりハルシュカラプトル亜科の特徴を有していた(シックルクローは産出していないようである)。

 化石の記載が終われば次は系統解析であるわけだが、ナトヴェナトルは順当にハルシュカラプトル亜科の派生的な分類群としてフルサンペスおよびマハカラと多系統をなした。この系統ではハルシュカラプトル亜科はドロマエオサウルス類の最基盤に位置付けられ(時点がウネンラギア亜科、ついでミクロラプトル亜科が位置付けられる)、ハルシュカラプトルはナトヴェナトルの一つ下、すなわちハルシュカラプトル亜科の最基盤に位置付けられた。ハルシュカラプトルが産出したジャドフタ層はナトヴェナトルが産出したバルンゴヨット層の下位に位置するため、系統解析の結果はそれぞれの生息時代にほぼ適合しているといっていいだろう。

ハルシュカラプトル亜科を含めたドロマエオサウルス類の系統図。赤字がナトヴェナトル。Lee(2022)より引用

 そして議論の項目では、ナトヴェナトルの生態について考察されている。いわく、小さい多数の歯、吻部に集中する神経腔、長い首、流線形の胴体など、ナトヴェナトルに確認された特徴の多くが現生の潜水性鳥類やタニストロフェウスや首長竜などの潜水をしていたと考えられる絶滅生物にも共通してみられると指摘されたのである。このことから、ナトヴェナトルが潜水が可能な半水生の獣脚類であったこと、ハルシュカラプトルは半水生への移行段階にあったことが論文で主張された。またジャドフタ層の時代からバルンゴヨット層の時代まで約400万年間、半水生のニッチがハルシュカラプトル亜科に受け継がれていたことを証拠として、非鳥類恐竜の多様性と潜水性鳥類との収斂進化を指摘して論文が閉められた。

 

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 さて、ここからは妄想パートである。ナトヴェナトルが所属するハルシュカラプトル亜科が潜水遊泳が得意、少なくとも河川生態系に強く依存した恐竜であったという前提条件のもと(なにせこの前提を考え直そうとしたことが、この記事がお蔵入りした直接の要因である)、以下のようなことを考えてみたい。

 まず一つ目は、ハルシュカラプトル亜科がなぜ河川生態系に依存するようになったのか、ということである。河川環境に適応した獣脚類という時点で恐竜としては非常に珍しい分類群であるハルシュカラプトル亜科だが、冒頭で述べた通りスピノサウルス科も河川環境に適応した分類群である。鳥盤類ではコリアケラトプスが河川環境への適応が指摘されていたり、ハドロサウルス類が半水生であることが指摘されていたりと、河川環境への適応というのは恐竜の中ではそれなりに発生している。そこには何かしらの要因がありそうな気がするが、ハルシュカラプトル亜科の場合は何が要因となって河川環境へ適応したのだろうか?

 思い浮かぶのは環境と他獣脚類の影響である。ハルシュカラプトルが産出したジャドフタ層の堆積環境は、かなり乾燥した陸上環境とされている。厳しい環境故に(植物食しかり肉食しかり)大型恐竜はジャドフタ層にはほとんどおらず、上記捕食者(ジャドフタ層ならば頂点捕食者と言って差し支えない)にはヴェロキラプトルとツァガーンがついていた。そんな中で複数種のドロマエオサウルス類が共存するために、点在していた三日月湖などの河川環境へと活路を求めた存在がハルシュカラプトル亜科だったのではないかと考えることができそうだ。ハルシュカラプトル亜科の進化を考えるうえで環境要因、そして同地域に生息していた他ドロマエオサウルス類(ほぼヴェロキラプトル一択だが)の影響は強いと見ていいだろう。

 そして二つ目に、ハルシュカラプトル亜科が今後ネメグト層で産出する可能性についてである。現在ハルシュカラプトル亜科が産出している地層と言えば、ハルシュカラプトルとマハカラが産出したジャドフタ層と、ナトヴェナトルとフルサンペスが産出したバルンゴヨット層に限られる。ネメグト層でドロマエオサウルス類といえば全長2mのアダサウルスしか命名されていないが、英語版Wikipedia情報によれば他にも断片的なドロマエオサウルス類化石の報告はあるようだ。加えてネメグト層の時代はそれ以前の時代よりも湿潤な環境であったとされており、河川環境には事欠かなかったと考えられている。であるならばネメグト層こそがハルシュカラプトル亜科の本番ととらえることもできそうである。一応ネメグト層からはワニ類の化石が産出しているが、現生潜水性鳥類であるカイツブリ科はワニ類と生息地域が重なっているらしい(ちゃんと調べたわけでは無いが)ため、ネメグト層にワニ類がいてもハルシュカラプトル亜科にはなんの問題もないだろう。タルボサウルスやサウロロフスといった大物が目を引くネメグト層だが、オクソコを始めとした複数種のオヴィラプトロサウルス類のように小型の恐竜も産出しているのだ。あるいは上記に上げた断片的なドロマエオサウルス類のいずれかに、ハルシュカラプトル亜科が紛れ込んでいる可能性もありうるだろう。

 

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 以上、本当は記載論文投稿直後にやりたかったナトヴェナトルの紹介およびハルシュカラプトル亜科についての妄想語りであった。界隈に衝撃を与えたハルシュカラプトル記載だが、現在ではハルシュカラプトル亜科の存在は普通に受け入れられている。ジャドフタ層限定の存在かと思いきやナトヴェナトルという形でバルンゴヨット層にも存在していたことが明らかとなる中、ネメグト層でハルシュカラプトル亜科の産出を期待する気持ちは(個人的に)増す一方である。

 ゴビ砂漠でハルシュカラプトル亜科として一定の繁栄を保った潜水性ドロマエオサウルス類だが、他地域―――例えばララミディア―――はどうだろうか。小型生物は化石化の過程で失われやすくなかなか化石には残らないことは、当ブログの読者様であれは既知の内容であろう。ないものを語るわけにはいかないが、常に予想の斜め上を飛んでいく古生物学のことだ。その地層では見られない、しかし何だかデジャブを感じる化石がひょっこりと産出するかもしれない。そうなれば、我々が知らなかった世界が新しく見えてくることだろう。

 

Lee, S., Lee, YN., Currie, P.J. et al. A non-avian dinosaur with a streamlined body exhibits potential adaptations for swimming. Commun Biol 5, 1185 (2022). https://doi.org/10.1038/s42003-022-04119-9

*1:もとはと言えばネメグト層の下部層として認知されていたらしい。

*2:下記以外に尺骨や中手骨、中足骨などにも固有の特徴が確認されている。

その歩みは南の果てへと

 2023年は新属記載のニュースがどうにも乏しいと考えていた節はある。そんなわけで当ブログではアスファルトヴェナトルやチャンミアニアなど、記載済みだが知名度は低い恐竜たちを紹介してきたわけだが、まさかの6月に3属も記載されてしまったわけである。どれもこれも(古生物すべてがそうと言えばそうなのだが)大変面白い存在ばかりであり、誰を紹介するべきか非常に迷ったのだが、今回はチリ南端部の最上部白亜系から産出した広義ハドロサウルス類のゴンコケン・ナノイ(Gonkoken nanoi)を紹介しよう。ハドロサウルス類の進化と放散を考えるうえで重要な存在であり、地味に日本産恐竜も関わってくるのである。なお現時点(9月)においては3か月も前の話であり、とっくの昔に速報ではなくなっていることについてはご理解ご了承のうえスルーしていただきたい。

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 ゴンコケンが産出したのはチリ南部のパタゴニア地方、リオ・デ・ラス・チナス渓谷に分布するドロデア層の上部である。ドロデア層は白亜紀後期カンパニアン期から新生代第三紀暁新世ダニアン期までに大陸棚からデルタ、河川環境で堆積した地層である。このうちゴンコケンの産出層準の時代については71.7〜70.5Maと、前期マーストリヒチアンに対応する年代が推定されている。層厚80cmの地層から3個体分の化石がまとまって産出しているが、一方で化石そのものは完全に関節が外れた状態であり、ホロタイプとして指定されたのは成体の右腸骨(CPAP3054)のみであった(それ以外の化石はパラタイプ標本に指定された)。

 それでは、恐竜紹介である。ゴンコケンの全長は成体で4mと推定されており、広義ハドロサウルス類の中でも小型であった。ホロタイプおよびパラタイプをかき集めることで頭骨の大部分に肩甲骨、烏口骨、上腕骨、腸骨、坐骨の一部、大腿骨、脛骨および胴椎や肋骨、尾椎の一部について情報が明らかとなった。ゴンコケン固有の特徴としては、以下のものが挙げられている。

・前方腹側へ湾曲して伸びる稜線状突起を持つ肩甲骨

・後方腹側へ伸びる寛骨臼突起

・前後方向へ発達した稜線を持つ腸骨

 これ以外にもゴンコケンには基盤的ハドロサウルス類の特徴と派生的ハドロサウルス類の特徴が多々入り交じっている。それでは、いつも通り頭骨から見ていこう。

ゴンコケン骨格図。発見部位は白色で示されている。Jhonatan(2023)より引用。

 

 頭骨のうち、頬骨の関節面は他のハドロサウルス類と異なり四角形に近い形となり、また頑丈にできている。歯骨は約25本の歯列を持つという、基盤的ハドロサウルス類によく見られる特徴が確認された(派生的ハドロサウルス類では30本土以上の歯列となる)。これ以外にも歯骨などの頭骨各部位には基盤的ハドロサウルス類で見られる特徴がいくつか確認された。

 典型的な広義ハドロサウルス類の胴椎、尾椎に続いて、肩甲骨や烏口骨も典型的なハドロサウルス類の形状である。ただし肩甲骨の三角筋稜はあまり発達していない。これに加えて既知南米ハドロサウルス類*1とは異なり肩甲骨の突起が前方腹側に傾斜していたり、烏口骨面が狭いなど、既知南米ハドロサウルス類とは異なる特徴も持ち合わせていた。上腕骨の三角筋稜が派生的ハドロサウルス科よりも小さく(そのかわりか高さは派生的ハドロサウルス科よりも高い)このあたりの特徴も、ゴンコケンの原始的さを際立たせている。

 骨盤もなかなか独特な形状である。腸骨の背側がまっすぐな形状をしていたり、仙椎の稜線が発達していたりするなど、南米ハドロサウルス類には見られない特徴が多く確認されている。とはいえ基本的な形状(寛骨臼状の突起形状、大腿骨の形状)はハドロサウルス類に広く見られる特徴であり、ハドロサウルス類として原始的な形質は残しつつもイグアノドン科の特徴は一切見られない骨格である。

 

 基盤的なハドロサウルス類の特徴がよく見られたゴンコケンだが、系統解析においてもやはり基盤的な系統に位置付けられた。ハドロサウルスより派生的なハドロサウリダエに含まれない広義ハドロサウルス科(ハドロサウロイデア)のなかでもエオトラコドンより一つ派生的な場所に位置付けられたのであった(ちなみに日本における基盤的ハドロサウルス類のヤマトサウルスは今回も、ハドロサウルスより一つ派生的なハドロサウリダエとされた。この解析結果はヤマトサウルス記載論文と一致しており、ヤマトサウルスの系統的位置づけがここから変動するということはなさそうだ)。また白亜紀後期に南米大陸で生息していたセケルノサウルス、ボナパルテサウルス、ケルマプサウラそしてフアラサウルスの4種はサウロロフス亜科の内部で独自かつ単一の分類群である「アウストロクリトサウリア(Austrokritosauria)」を形成したのである。ゴンコケンをここに含めるには相当に無茶な解釈をしなければならず、ゴンコケンとそれ以外の南米ハドロサウルス科たる「アウストロクリトサウリア」は縁遠い存在であることが示されるに至った。

ハドロサウルス類(Hadrosauroidea)の系統図。ブログ上では若干画質が悪いため、記載論文を見ていただきたい。Jhonatan(2023)より引用。

 基盤的ハドロサウルス類の生き残りであるゴンコケンと派生的ハドロサウルス科のアウストロクリトサウリアはなぜ同じ大陸で共存できたのだろうか?論文で指摘された可能性は、南米大陸への到達時期の違いである。ハドロサウルス類の始まりは白亜紀後期のコニアシアン、西部内陸海路で分断された北米大陸東側の陸地であるアパラチアではないかと考えられている。ここからゴンコケンの先祖は、アパラチアで出現したのちに何らかの形でつながったララミディア*2を経由して南米大陸へ到達した可能性を指摘されたのである(ヨーロッパ発アフリカ大陸経由も検討されたが、証拠不足を理由に棄却された。今後アフリカ大陸からハドロサウルス類の化石が産出すれば、この仮説が再び支持される可能性がある。)。

 これに対して派生的ハドロサウルス科(ヤマトサウルス記載論文で言うところの「エウハドロサウリア」)は少し遅れてララミディアで出現したと考えられている。無論彼らも基盤的ハドロサウルス類のように南米大陸へも進出したのだが、南米大陸南端へ到達するより前に時間切れとなってしまったと推定されたのである。結果的にゴンコケンが生息していた南米大陸南端部やその先の南極大陸が、基盤的ハドロサウルス類における避難所(レフュージア)となっていたのではないかと論文内で指摘されることになった(この辺りは東アジアが避難所となっていたヤマトサウルスに近い理屈を感じる)。

 

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 ここまでがゴンコケンの論文要約であった。ここから先はゴンコケンについての考察や、基盤的ハドロサウルス類についての考察をグダグダ展開していこう。

 まずはゴンコケンの生息範囲についてである。ゴンコケンに限らずハドロサウルス類は白亜紀後期に世界的に勢力を拡大していたわけだが、その中にはアパラチアからララミディアだったり、ララミディア発アラスカ経由東アジア行きだったりと、明らかに海を渡るルートが想定されているのである。これに加えてハドロサウルス類の化石は沿岸環境から産出している事例が多く(日本で言えばカムイサウルスがそれにあたるだろう)、ハドロサウルス類全般にわたって泳ぎが得意だったか、あるいは半水生だった可能性が論文でも指摘されている。これがゴンコケンにも当てはまる場合、ゴンコケンの生息範囲もある程度広かったのではないかと期待ができる。すでに南極半島にあるヴェガ島やシーモア島などからハドロサウルス科の化石が産出しているそうだが、もしかすればこれらの化石もゴンコケン、ないし近縁な恐竜ではないかと期待ができそうだ。あるいはさらに南の南極大陸にもゴンコケンの近縁種が到達していた可能性も十分にあるだろう。

 そして基盤的ハドロサウルス類そのものについてである。派生的ハドロサウルス科によって勢力を縮小していた基盤的ハドロサウルス類だが、その実白亜紀末期まで生存していたことはゴンコケンやヤマトサウルスによって証明されている。ということは、ゴンコケンやヤマトサウルスのような基盤的ハドロサウルス類の生き残りが他の地域にも存在していた可能性は十分にある。ゴンコケン以降の時代に生きていた基盤的ハドロサウルス類としては他にタニウスやナンニンゴサウルス、テルマトサウルスなどが挙げられており、そこから考えるに東アジアやヨーロッパには基盤的ハドロサウルス類がまだ繁栄していたという可能性も考えられる。さらに言えばタニウスに関しては産出した王氏層群から、派生的ハドロサウルス科のシャントゥンゴサウルスが産出しており、基壇的な種と派生的な種が共存していた可能性がある。基盤的ハドロサウルス類が一切合切発見されていないララミディアでこれ以上基盤的ハドロサウルス類を見つけるのはおそらく不可能だろうが、案外アジアの各地や南米大陸なら派生的ハドロサウルス科と一緒に基盤的ハドロサウルス類が産出しそうな気もする。系統図上では中央アジアやアフリカがほとんど反映されていないが、これは間違いなく政治情勢による研究不足が大きく、であればここから未知のハドロサウルス類が産出する可能性は期待できるのである。

 

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 以上、今年6月に記載されたゴンコケンについての解説と、それに伴う筆者の妄想をグダグダ語ってきた。ゴンコケンが産出したドロデア層はボーンベッドとなっているようで、化石が枯渇する気配はしばらくないそうだ。またゴンコケンの産出層序も北東5㎞まで分布しているらしく、ゴンコケンについてはまだまだ新しい発見が期待できそうである。基盤的ハドロサウルス類の進化や放散を考える上でも重要な存在であり、ゴンコケンの今後の発見と研究が非常に楽しみである。

 ドロデア層に話を拡大させれば、記載命名までこぎつけた恐竜はゴンコケンのみであるようだ。今後ドロデア層の研究が進めば、白亜紀末期の亜南極の生態系や生物相が徐々に明らかになってくることだろう。少しだけ想像を膨らませれば、南極大陸からはアンタークトペルタが、パタゴニア地方のチョリロ層からはイサシカーソルやヌロティタン、マイプといった恐竜が産出しているが、ドロデア層はどうだろうか。パラアンキロサウリア、エラズマリア、ティタノサウリア、そしてメガラプトラ。これらの恐竜がドロデア層から産出するのか、それとも全く予想外の恐竜が飛び出すか、今後の研究が楽しみな地層である。

 

参考文献

Jhonatan Alarcón-Muñoz et al. Relict duck-billed dinosaurs survived into the last age of the dinosaurs in subantarctic Chile.Sci. Adv.9,eadg2456(2023).DOI:10.1126/sciadv.adg2456

Kobayashi, Y., Takasaki, R., Kubota, K. et al. A new basal hadrosaurid (Dinosauria: Ornithischia) from the latest Cretaceous Kita-ama Formation in Japan implies the origin of hadrosaurids. Sci Rep 11, 8547 (2021). https://doi.org/10.1038/s41598-021-87719-5

*1:論文中では「アウストロクリトサウリア(Austrokritosauria)」とひとまとめの分類群となっている。詳しくは後述

*2:西部内陸海路で分断された北米大陸の西側の陸地。ジュディスリバー層やダイナソー・パーク層、ヘルクリーク層など名だたる上部白亜系はほとんどララミディアの地層である。

暴君に似た者、何を語る

 長らく本ブログの更新が途絶えているうちに、古生物界隈はいろいろあったわけだが、日本の恐竜の聖地とでも呼ぶべき福井県から待望のニュースが飛び込んできた。2020年の特別展『福井の恐竜新時代』で初公開され、その後常設展示に回った*1「北谷層産オルニトミムス類」がついに記載命名されたのである。前置きはこの辺りにしておいて、日本産恐竜11種目にして北谷層産6種目となるティラノミムス・フクイエンシス(Tyrannomimus fukuiensis)について解説していこう。同じく北谷層産のフクイラプトルやフクイヴェナトルと並び、なかなかに面白い恐竜である。

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 ティラノミムスが産出したのは2018年の発掘調査のことであった。北谷恐竜化石発掘現場の最下層*2から複数個体分が発見された。それ以前の日本国内におけるオルニトミムス類といえば、群馬県神流町の山中地溝帯瀬林層から産出した尾椎一つ(サンチュウリュウ)や熊本県御船町の上部白亜系(御船層群だろうか)から産出した尾椎と末節骨など断片的なものばかりであった。これに対して北谷層産オルニトミムス類は前後肢の他に頭骨要素(脳函など)も産出しており、日本産オルニトミムス類としては最良の産出状態だったのである。前述した2020年の特別展でお披露目された際には現在研究中との内容がキャプションで紹介されており、記載論文投稿への道が最も近い恐竜として(筆者が個人的に)注目していた存在であった。

 

ティラノミムスの化石および成体シルエット。Hattori(2023)より引用

 それではティラノミムスについて解説していこう。複数個体が産出したティラノミムスは今回の記載論文にてホロタイプの他にパラタイプと参照標本の指定が行われた。ホロタイプおよびパラタイプ標本番号と産出部位は以下の通りである。

ホロタイプ:FPDM-V-11311(脳函、脊椎、仙椎、尾椎、腸骨の断片)

パラタイプ:FPDM-V-10295(部分的な左大腿骨、左第二中足骨、左右の第四中足骨、左後肢第一指骨および後肢末節骨)

 この他に参照標本として脊椎や仙椎、上腕骨などが登録されている。推定全長は2.5mほどと、オルニトミムス類としては標準的な大きさであったようだ。

 固有の特徴はホロタイプの脳函、参照標本の上腕骨に確認されている。また上腕骨に対する三角筋稜の長さや三角筋稜に見られる筋肉痕の形状、腸骨の形状などから、白亜紀前期のオルニトミムス類と区別された。骨格は全体的に新旧オルニトミムス類の特徴が入り交じっているような形態である。それでは筆者の理解力と独断偏見に基づいて化石を見ていこう。

 まずは頭骨からだ。左前頭骨はハルピミムスより派生的オルニトミムス類のように左右が癒合している。後方へ湾曲しドーム型となる形状もオルニトミムス類として典型的とされた。脳函には三半規管のキャストが残されており(フクイヴェナトルといいフクイプテリクスといい、この保存状態の良さは流石ラーガッシュテッテンたる北谷層と言ったところか)、CTスキャンにかけたところ蝸牛管の長さは7.88mmとされた。この長さはストルティオミムスの蝸牛管に匹敵する長さであり、ティラノミムスの聴力は後期白亜紀のオルニトミムス類と同等だった可能性が指摘された。

 部分的に発見された脊椎、仙椎、尾椎は正直特筆するべきことがない。強いて言うなら神経弓の構造がオルニトミムス類で普遍的に見られる形質であること、発見された仙椎は第3から第5仙椎であると推定されていることぐらいであろう。

 前肢は左右上腕骨、指骨と末節骨について記載されている。上腕骨は側面から見るとほぼ直線的な形状をしており、三角筋稜はヌクェバサウルスを除くオルニトミムス類と同様に小さく、近位に位置している。指骨や末節骨は他のオルニトミムス類同様に直線的な形状である。

 腸骨は非常に面白い。腸骨中央には垂直に伸びる稜線があるのだが、これはティラノサウルス上科全体に見られる特徴なのである(が、シェンゾウサウルスやハルピミムスなど一部のオルニトミムス類でも確認されている特徴ではある)。特にアヴィアティラニ*3とは稜線の形状は酷似していることが指摘された(属名はこれに由来する。ティラノサウルス上科を意識して付けた属名であるとの説明だが、最も意識されているのは先述通りアヴィアティラニスであろう)。それ以外の部位(寛骨臼など)は概ねオルニトミムス類としての特徴を持ち合わせていたようである。

 後肢は全体的に基盤的オルニトミムス類やデイノケイルス科の特徴が見られる。大腿骨の小転子の形状はガルディミムスやビセクティのオルニトミムス類に、伸筋溝の見られない遠位端はヌクェバサウルスやガルディミムスにそれぞれ共通して確認された特徴である。第三中足骨は第二、第四中足骨に近位半分当たりで挟まれる、いわゆるアークトメタターサルになりかけの構造であったようだ。

(ディスカッションの冒頭で、ティラノミムスがフクイラプトルの幼体である可能性について検討されているが、現状ティラノミムスの標本にメガラプトラの特徴は確認されていない。現状ティラノミムスのホロタイプは成長途中の個体と考えられているが、とりあえず既知または未知の別種大型獣脚類の幼体である可能性はないと言っていいだろう。)

 

 系統解析においては、ティラノミムスはデイノケイルス科の基盤的な種として、ハルピミムスと姉妹群という立ち位置となった。これによりティラノミムスがデイノケイルス科の最古の恐竜であることが明らかになったのである。

オルニトミムス上科の系統図。アヴィアティラニスの系統位置は示されていないことに注意。Hattori(2023)より引用

 そしてティラノミムス以上に衝撃的な系統となったのは腸骨の解説でしれっと言及したアヴィアティラニスである。系統図上では描かれていないものの、ティラノミムスとの共通する特徴からアヴィアティラニスが最古のデイノケイルス科にして最古のオルニトミムス類である可能性が指摘されたのである。これによりオルニトミムス類の起原がジュラ紀後期キンメリッジアンまで拡大され、マニラプトル類の放散から2000万年に渡るゴースト系統の一部が埋められることになったのである。アヴィアティラニスの詳細な系統については将来に託されたものの、オルニトミムス類の系統としてかなり衝撃的な結果が示されたのであった。

 

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 以上がティラノミムスについての大雑把な概要である。ここからはティラノミムスから見る北谷層についてや、オルニトミムス類の系統について、筆者なりに気になったことをグダグダ書き連ねていこう。

 まずはティラノミムスから見る北谷層についてである。北谷層産の恐竜研究を振り返れば、記載された恐竜は基盤的なメガラプトラやテリジノサウルス類の最基盤、ティタノサウルス形類などである。このうち東アジアでは絶滅したメガラプトラを除けば、多くの分類群はのちの時代の白亜紀後期まで繁栄を続けている。ここに今回デイノケイルス科の基盤的な種であるティラノミムスが加わったことで、白亜紀後期の東アジア―――諸城の王氏層群やモンゴルのジャドフタ層やネメグト層など―――で確認される主要分類群のほとんどが白亜紀前期にまでさかのぼることができることが明らかになったのである。正直なところを言えば、白亜紀後期の東アジアにいた分類群のほとんどはすでに熱河層群義県層で産出しており、ここで特筆することではないかもしれない。しかしながら義県層と北谷層が地理的および年代的にある程度離れていることは確実であり、これらの生物群が東アジア一帯に長期間生息していたということはほぼ確実とみていいだろう。

 そしてデイノケイルス科、と言うよりオルニトミムス類(この場合、いくつかの先例にならいオルニトミムス上科と呼ぶべきか)の系統についてである。当記載論文にてティラノミムスが確定できる範囲で最古のデイノケイルス科に認定されたわけだが、同時にジュラ紀後期のアヴィアティラニスまでもがデイノケイルス科(にして最古のオルニトミムス上科)である可能性を指摘されている。系統解析に基づく結果ではティラノミムスより基盤的なオルニトミムス上科(ヌクェバサウルス、ペレカニミムス、シェンゾウサウルスおよびベイシャンロン)はデイノケイスル科およびオルニトミムス科とともに多分岐をなしているわけだが、他の研究を見る限りではヌクェバサウルスが最基盤、ペレカニミムスが次に配置され、ついでシェンゾウサウルスという系統が多い気がする(ベイシャンロンは正直立ち位置不明である)。そして系統図上において、基盤的なオルニトミムス上科で最も新しいベイシャンロンからオルニトミムス科最古のシノルニトミムスまで約2000万年のギャップが存在する。そして筆者はふと考えた。

 オルニトミムス上科の本流はデイノケイルス科なのではないか?

 もっと言ってしまえば、デイノケイルス科はオルニトミムス科へとつながる側系統群なのではないか?

 あるいはオルニトミムス科がデイノケイルス科の中で多系統(あるとしたらララミディアグループとアジアグループ)をなす可能性もあるだろう。いずれの可能性があるにしてもゴースト系統の見当たらないデイノケイルス科に比べて、オルニトミムス科のゴースト系統2000万年というのは何となく不自然であり、もやもやする。むろんこれは筆者の妄想であるが、もう少しオルニトミムス上科の系統については行く末を見守ったほうがいいかもしれない。

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 以上、ティラノミムスの紹介とそれに関係する筆者の妄想をグダグダ書き連ねてきた。四肢はそれなりに産出したティラノミムスであるが、食性の手掛かりとなる頭骨については脳函程度しか産出していない。系統上での立ち位置はこれ以降研究が進んでも動くことはないだろうが、デイノケイルス科の初期進化を知る上では追加標本が欲しいところである。現時点で複数個体が確認されているというところから、ティラノミムスは当時の北谷層では多くの個体が生息していたとも考えられる。今後の追加標本の発見には大きな期待が持てそうだ。

 ティラノミムス記載で学名のついた恐竜が6属まで増えた北谷層(手取層群まで拡大すればアルバロフォサウルスを含めて7属)だが、この先に続く発見は何だろうか?白亜紀前期および以降の時代に東アジアで栄えた分類群のうち、北谷層で確認されていない分類群は筆者が思い浮かぶ限り2つ―――ティラノサウルス上科とカルカロドントサウルス科―――である*4ティラノサウルス上科は義県層でディロングとユウティラヌスが産出しており、北谷層からも2種類の異なるティラノサウルス上科が産出する可能性は十分にあるといえるだろう。とはいえ白亜紀前期に世界中で覇権を極めたカルカロドントサウルス科が産出する可能性もあるかもしれない。6属が報告されてもなお、北谷層の全貌は厚いヴェールに包まれている。ティラノミムスが疾走していた世界を知るのには、まだ時間がかかりそうだ。

 

ティラノミムスのホロタイプを含むと思われるオルニトミムス類化石標本。撮影時は研究のキャプションだった。2022年にFPDMにて筆者撮影。

参考文献

Hattori, S., Shibata, M., Kawabe, S. et al. New theropod dinosaur from the Lower Cretaceous of Japan provides critical implications for the early evolution of ornithomimosaurs. Sci Rep 13, 13842 (2023). https://doi.org/10.1038/s41598-023-40804-3

東洋一ほか,2020,福井県立恐竜博物館開館20周年記念 福井の恐竜新時代,福井県立恐竜博物館,95p

*1:リニューアル前の情報であり、リニューアル後も展示されているかは分からない。

*2:フクイラプトルやフクイサウルスが産出した層準である。ちなみにコシサウルスは同発掘現場の中部、フクイティタンとフクイヴェナトルは上部層から産出した。無論ながら全ての層準は手取層群北谷層に属する。

*3:2003年に記載された基盤的ティラノサウルス上科。ポルトガルの上部ジュラ系キンメリッジアン階から産出した。ホロタイプは部分的な腸骨と座骨に限られる。

*4:鎧竜類は歯が、ドロマエオサウルス類は足跡化石がそれぞれ北谷層で報告されている。北谷層の角竜類は正直噂程度にしか聞いていないのだが、アルバロフォサウルスの存在を考えるに、記載にこぎつけられる標本発見の可能性は十分高そうだ

『福井市自然史博物館』レポート

 当ブログでやりたいこと、書きたいものはいろいろと企画しているのだが、諸事情に伴い没にした企画や記事は現時点ですでにいくつか存在する。今回のネタも本来であれば昨年の5月から6月には投稿するつもりだったのだが、連休前後にあんな奴こんな奴が記載されたことにより予定急変を迫られた結果、結局記事の下書きを作ることもなく、120枚の写真とともにお蔵入りになったわけである。

 しかしながら、そうもいっていられない事態になってしまった。国立科学博物館が危機的運営状況を理由にクラウドファンディングを開始したのである。日本屈指の科学博物館でさえこの状況であり、いわんや地方の中小博物館をや、というところである。常日頃より博物学からは山よりも高く海よりも深い恩を受け、ましてやこうして古生物系ブログを運営して1年半が経過した筆者がこの恩に報いる方法など一つしかないわけだ。そんなわけで今回は福井市が運営する自然史系の博物館である『福井市自然史博物館』のレポートである。なお写真のすべてが昨年(2022年)の5月に撮影したものであるため、展示の入れ替え等の可能性についてはご了承願いたい。

 

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 福井県の博物館と言えば基本的に福井県立恐竜角物館(以下、FPDM)一強なわけだが、FPDMの根底は福井県における自然史の総合博物館という立ち位置にある。それに対して福井市自然史博物館は徹底的に「福井市の自然環境」に特化した展示となっている。

 

 それをある意味象徴する展示がこちら、福井県の足羽山(同博物館が立地する山でもある)から採取される笏谷石の展示である。笏谷石は1800万年前に噴火した火山由来のデイサイト軽石火山礫凝灰岩である。本展示では笏谷石の由来や見た目ごとの呼び名、採掘場所や利用方法までもが紹介されている。またこれ以外にも、足羽山の地質や岩石の紹介コーナーがあったりと、足羽山の地質に関するコーナーはかなり力を入れて作られていた。かつて地質学をたしなんでいた筆者としてはこの時点で最高の展示であるが、まだまだ序の口である。

 

 福井市自然史博物館のテーマが「福井市の自然環境」であるということは上述したが、自然環境のジオラマおよび標本紹介も実に力が入っている。写真にあげているのは「川の自然」だが、これ以外にも海岸や森、さらには町の自然というジオラマもある。

 

 そんなジオラマと対応するように、昆虫や植物の展示が多数。特に昆虫の展示はどれも見やすい展示がされていた。解説もわかりやすく、まさに地元密着型の博物館といった感じである。

 

 打って変わって、今度は地学系の展示である。こちらでの主力は主に新生代の化石であり、ともすれば別世界の出来事に感じてしまいがちな中生代の化石とは異なり、より一層身近に感じることができるだろう。実際にハマグリやアサリ、サルボウガイなど現生でも見られる生物の化石が多く展示されている。

 新生代と言えばビカリアである(断言)。こちらも多くが福井県内で産出した化石である。状態もよく、細部までクリーニングされている美しい化石である。これ以外にも大野市に分布する手取層群から産出したアンモナイトや植物化石などの展示もあったが、なぜか上下逆で登録されてしまっていた(&はてなブログでの修正がよく分からない)ため、断腸の思いで割愛である。どれも非常に美しい標本であるため、必見である。

 

 そして福井市自然史博物館の目玉展示と言えばこれである。フロアど真ん中に配置されているこちらの棚、何やら引き出しごとにラベルが張られて整理されているようだが……。

 

 引き出しの中身がこちら(上下逆で申し訳ないが……)。植物標本がずらりと敷き詰められている。これ以外にもキノコや粘菌などの標本が引き出し一杯に敷き詰められていた。正直に言えばこれだけで満腹感を覚える展示であり、これこそまさに福井市自然史博物館の主力と言っていいだろう。ぶっちゃけた話、筆者もすべてを見た訳はないため、実際の展示についてはぜひ訪れていただきたい。おそらく写真以上に圧巻されるはずだ。

 

 筆者が行った時にはこんな展示もあった。福井県南越前町の夜叉ヶ池にのみ生息するヤシャゲンゴロウである。環境省レッドリストでⅠB類というとんでもない希少生物であり、他に見ることができる場所と言えば筆者が知っているのは越前松浜水族館ぐらいである。

 

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 以上、本当は昨年にやりたかった福井市自然史博物館のレポートであった。かなりこじんまりとした博物館ではあったが、その分密度はFPDMに負けず劣らずの濃厚っぷりである。生物が好きな方にも、筆者のように地質学をたしなむ方にもお勧めできる博物館であり、来訪して損は全くないと言っていいだろう。福井県と言えばついついFPDMが筆頭に上がりがち(個人の感想)だが、福井市に宿をとった場合はこちらの来訪もご検討いただきたい。繰り返すが充実した展示内容であり、損は全くない。

 アクセスは福井駅から足羽山のふもとまでバスが出ているが、基本的には車で来訪したほうがいいだろう。とはいえ時期になればアジサイや新緑が賛同を彩っており、徒歩で向かってもそれはそれで楽しいはずだ(かなりの雨天でビニル傘を差しながら一人徒歩で向かったアホは筆者ぐらいだと願いたい)。中腹には食堂があったり、ふもとには神社が充実していたりと、足羽山周辺でも楽しむことができる。福井県のおすすめスポットであった。

 

 

『Dino Sciense~恐竜科学博~』レポート

 2021年、横浜にて突如として開催された『Dino Sciense~恐竜科学博~』が完全予約制にもかかわらず40万人を動員したことは記憶に強烈に刻まれているだろう。こういった特別展は基本的に一期一会の存在であり、ましてや門外不出の標本が主役級展示となっていた場合、復刻開催は輪をかけて絶望的である。そうであるからこそ、2023年に東京を会場に2度目が開催されるというニュースが飛び込んだ時、多くの恐竜ファンが面喰い、歓喜に打ち震えていたことは記憶に新しい。かく言う筆者も2021年の開催は涙を流して見送ったのだが、さしたる制限なしという中での開催ともあれば万全の態勢を整えていざゆかんと決意したわけである。そんなわけで今回は2023年8月現在、東京ミッドタウンにて絶賛開催中の『Dino Sciense~恐竜科学博~』のレポートである。

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 出会い頭に対面するのは本特別展で主役級の扱いを受けているゴルゴサウルスのルースである。いまだに研究中であるらしく、いまだに「Gorgosaurus sp.」名義である*1。キャプション通り全身傷だらけの個体であり(肩甲烏口骨および脳幹の開きは別に展示されている。こちらも必見)、恐竜たちがかつて我々と同じ地球で「生きていた」生物であるということを強く印象付けてくれる。またゴルゴサウルス単体としてみた場合でも、恐竜博2023に展示されている亜成体(ROM1247)と比較して明らかに頑丈な体つきであり、大型獣脚類の成長過程についてもいろいろ楽しむことが可能である(来場者の会話を盗み聞きする限り、恐竜博2023にも言った方がそれなりにいたようである)。

 

 今回の舞台はヘルクリーク層ということで、ルースの次はヘルクリーク層の環境を紹介する化石展示になっていた。そこを抜けると「白亜紀フィールドツアー」ということで、ヘルクリーク層の生物たちがずらりと待ち構える。トップバッターのトリケラトプス幼体はレインの幼少期ということで製作されたものらしい。トリケラトプスの幼体は現状部分化石しか発見されておらず(同じくカスモサウルス亜科であれば恐竜博2016で展示されたカスモサウルス幼体がいる)、よってこの骨格に対する回答は今後の追加発見待ちであろう。とはいえ短い角や小さいフリル、体型こそ変わらないが細い手足などは幼体カスモサウルスとほぼ変わらないだろう。

 

 隣にいるのはヘルクリーク層産の小型翼竜。上方向に反り返ったくちばしが特徴であり、今後の研究や記載が楽しみな存在である。鳥類や大型翼竜の幼体にとってかわられたとみられた小型翼竜だが、なんだかんだK-Pgまで生き残っていたことは驚きである。

 

 幼体ティラノサウルスは置いておくとして、ディディルフォドンの骨格を始めてみた筆者である。中生代哺乳類としてはけた外れに大きい。歯列を見る限り強肉食性というよりは雑食にも見えるのだが、とはいえ全体的に頑丈な骨格であり、小型恐竜や幼体にとっては恐るべき捕食者であったことは間違いないだろう。恐竜とは異なる骨格を観察するのもいいかもしれない。

 

 ヘルクリーク層の水辺に生きた生物として、左からチャンプソサウルス、プレシオバエナ、スタンゲロチャンプサである。チャンプソサウルスは科博にもいるが、あちらと違いかなり低い位置に展示されているため、特徴的な頭骨がよく観察できる。スタンゲロチャンプサはアリゲーター上科のワニであり、隣にいるチャンプソサウルスとは明らかに形質が異なる。同一環境における住み分けや食い分けのようなものがあったと考えながら観察すると、頭骨や歯の形、全体的な形状でいろいろ考えながら楽しめるだろう。

 

 1m以下の小型生物に癒されたところでアステカより神の降臨……ではなくケツァルコアトルスの登場である。一応名義上はQuetzalcoatlus northropiであるのだが、復元に当たってより小型のQ. lawsoniをもとにしてくみ上げているようだ。そもそもの話、ケツァルコアトルスの産出層はQ. northropiQ. lawsoniもジャベリナ層であり、ヘルクリーク層から確実なケツァルコアトルスの化石は産出していない*2。とはいえ白亜紀末期に大型アズダルコ類が生息していたことは紛れもない事実であり、もしかするとヘルクリーク層まで飛んでいた個体もいるかもしれない。

 

 その巨大な大きさゆえ、各骨格の部位もよく観察できる。頑丈な肩甲烏口骨に胸骨や肋骨が癒合したノタリウム構造、鈍器のごとく発達した上腕骨など、飛行のための適応が随所に見て取れる。大型翼竜の骨格を目の前で観察することができる希少な機会であり、容赦なく観察と撮影をして損はないだろう。

 

 個人的なお気に入り展示、ダコタラプトルとストルティオミムスである。ダコタラプトルは全長6mに達する大型ドロマエオサウルス類であり、無論筆者は初めて大型ドロマエオサウルス類と対面することになった(過去にはアウストロラプトルやユタラプトルの展示もあったようだが)。

 

 ポージングの都合により頭骨は見えづらいが、ダコタラプトルは頭骨要素がろくに産出していないため、今回はスルーで構わない。その代わり、ホロタイプで産出した前後肢はしっかりと目に焼き付けよう。全長の割に長く伸びた後肢、その先に備わる長さ25cmのシックルクローなど、見どころはたくさんある。実のところ、ダコタラプトルはアケロラプトルとのジュニアシノニム疑惑やキメラ疑惑などもささやかれており、その有効性は案外不安定である。とはいえヘルクリーク層にユタラプトル級の大型ドロマエオサウルス類が存在していたことは確実であり、ダコタラプトル(のような存在)が末期のララミディアをかけていたことは間違いないだろう。

 最後に待つのはデンヴァーサウルスのタンクとエドモントサウルスの亜成体(と言うよりは大型幼体)である。タンクはFPDMに展示されている旧エドモントニアと同じ標本であるらしい(リニューアル後にデンヴァーサウルスに名義変更された模様)。ヘルクリーク層を代表する鎧竜であるアンキロサウルスは3個体そろえてもなお部分的というありさまであり、ヘルクリーク層の鎧竜としてはデンヴァーサウルスが最も良質である。恐竜博2023の延長線、あるいは予習として全身像を観察するのもいいかもしれない。

 西部内陸海路の展示に入ると、待っているのは今回から新たに加わったエラスモサウルスの幼体である。エラスモサウルスの幼体は現状見つかっておらず、この骨格も幼体トリケラトプスと同じ手法で復元した個体……だそうなのだが、肝心のエラスモサウルスはいまだに標本が化石戦争前に発見されたホロタイプANSP 10081しか発見されていないのである。そのホロタイプも頭骨や肋骨は部分的(頚椎や胴椎はかなりの量が産出している)であり、前後肢はごっそり欠けている。名義上はElasmosaurus platyurus、すなわち旧エラスモサウルス属の何かしら*3ではなく正真正銘のエラスモサウルスであるが、前後肢などは一部旧エラスモサウルスの何かが混ざっていると考えていいだろう。

 

 カンザス州産モササウルスのウォーカー。こちらもまだMosasaurus sp.名義である。頭がかなり低い位置にあるおかげで頭骨の外形観察のみならず、口腔内の口蓋歯もよく見える。リニューアル後のFPDMにはティロサウルスが展示されているとのことで、この機にモササウルス化の模式属の骨格を目に焼き付けるのもいいだろう。左上顎骨には他モササウルスによる噛み跡もあるらしく、がんばって探してみよう。地味に追加展示されたモササウルスの餌ヘスペロルニスにも注目である。

 

 この後はヘルクリーク層で発見された恐竜の紹介が続く。その中で個人的な注目化石はヘルクリーク層産の翼竜足跡化石である。表面に見られる規則的な凹凸はおそらく波の後であろう。海岸線沿いで翼竜が歩いていたという、ヘルクリーク層の一日を映し出す貴重な化石である。

 

 そして最後のコーナーで待つのはトリケラトプスのレイン、そしてティラノサウルスのスタンである。

 

 レインの復元骨格は非常に丁寧なつくりであり、トリケラトプスの特徴がよく見れる。科博と異なり目線の高さに非常に近い場所に配置されている点も、ありがたポイントの一つである。レインの近くに展示されているトリケラトプス(と言うかレイン)の皮膚痕も注目である。

 

 スタンも頭の位置が低いポーズとなっている。異例発達した頭骨やアークトメタターサル構造を備えた後肢などは特に必見である。恐竜博2023に言った方であれば、烏口骨の形状や大きさをマイプと比べてみるのも面白いかもしれない。

 

 個人的な注目点として、前回開催時のタフツ・ラブと入れ替わる形で登場したジェーンの頭骨である。高さよりも長さが目立ち、なおかつ厚みの薄い頭骨というのは紛れもない亜成体の特徴であり、成体のスタンと見比べてみても面白そうだ。隣にはブラッディ・メアリー(「Montana dueling dinosaurs」の片割れ)も展示されており、こちらとも見比べてみよう。

 

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 以上、『Dino Sciense~恐竜科学博~』についてグダグダ語ってみた。本展示会はかなり「見せる」ことに重点を置いた展示ではあったが、しかし学術的なことが疎かになっているかと言えば全くそんなことはなく、会場から出てきたときはララミディア、そしてヘルクリーク層についてある程度語れるぐらいには濃密な展示内容であった。一つ一つの標本も非常にゆとりをもって観察することができ、展示総数はそこそこであるにもかかわらず気が付いたら4時間が一瞬で蒸発することは間違いない。これ以外にも展示は盛沢山であり、また化石発掘体験(筆者参加済み)やアクリルキーホルダー作りなどの体験もある。これを機に、白亜紀末期のララミディアの世界にどっぷりと浸ってみるのもいいだろう。『Dino Sciense~恐竜科学博~』は東京ミッドタウンにて9月12日までの開催である。おそらくもう二度とないであろう復活劇を、とくとご覧いただきたい。

*1:研究の結果、いつものG. libratusでしたと言う話もあり得そうだが。ルースが産出したツー・メディソン層はG. libratusの産出するダイナソーパーク層よりも下位≒時代が古いらしく、もしかすればG. libratusの祖先種という可能性もあるかもしれない。

*2:と言いたいところだが、実はヘルクリーク層から産出したアズダルコ類の頚椎BMR P2002.2がケツァルコアトルスに属する可能性が指摘されている。推定翼開長は5m程度であるらしく、だとするならばQ. lawsoniになるだろうか

*3:有名どころで行くとタラソメドン。またスティクソサウルス属に割り当てられた種類や、そもそも疑問名へと叩き落された存在もあったりと、エラスモサウルスの研究史もまた混沌である。

それは闘争の結末か?

 闘争化石と聞いて、本ブログの読者の皆様はどのような化石を思い浮かべるだろうか?一般的にはプロトケラトプスとヴェロキラプトルの闘争化石(あるいは格闘化石)であろうか。ジャドフタ層から産出したこの化石はその保存状態から様々な議論を呼び起こし、すったもんだの末に「戦闘中に砂嵐、あるいは土砂災害に巻き込まれて双方ともに即死した」という学説でほぼ確定した、おそらくもっとも有名な闘争化石であろう*1

 あるいは恐竜界隈にどっぷり浸っている方々は「Montana dueling dinosaurs」―――ティラノサウルス亜成体とトリケラトプスが隣り合って化石化していた標本―――を思い浮かべるだろうか。こちらの化石は現在クリーニング中であるらしく、本当に闘争化石であるかどうかは今後の研究次第といったところだろう。情報はいまだおぼろげだが、ティラノサウルス亜成体およびトリケラトプスの保存状態はかなりものらしい。特にティラノサウルス亜成体については謎に満ちたティラノサウルスの成長過程が明らかになるだけでなく、長年横たわり続ける「ナノティラヌス問題」に決着をつけることができるのではないかと期待されている。いずれにせよ、今後の研究が楽しみだ。

 闘争化石には含まれないのは百も承知で、「フィッシュ・ウィズ・イン・フィッシュ標本」を上げてもいいかもしれない。この化石は白亜紀後期の北米大陸を東西に分断していた内海である西部内陸海路(ウェスタン・インテリア・シーウェイ)に生息していた大型肉食魚であるシファクティヌスが同じく大型魚類のギリクスを丸のみにしたまま化石になった標本である。捕食された側のギリクスはほとんど消化されていないことから、シファクティヌスがギリクスを丸のみにした後短時間で死亡したものと解釈されている。格闘化石ではないが、古生物の狩りや捕食行動を示すという意味では非常に重要であることに変わりはない。

 そして7月下旬ごろ、これらの闘争化石にまた一つ新しい発見が加わった。真贋判定等も含めて研究はまだこれからであろうが、今回はとりあえず速報として、プシッタコサウルスとレペノマムスの格闘化石(仮)の紹介と、個人的な考察を展開していきたい。

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 今回報告された化石は、羽毛恐竜でおなじみ中国遼寧省の熱河層群から産出したプシッタコサウルスPsittacosaurus lujiatunensis)とレペノマムス(Repenomamus robustus)の化石である。両者ともに保存状態は良好であり、欠損部位はレペノマムスの尾の先端ぐらいである。

プシッタコサウルスとレペノマムスの闘争化石(WZSSM VF000011)。円内は左から①プシッタコサウルスの下顎にかけられたレペノマムスの左前肢②プシッタコサウルスの肋骨に噛み付くレペノマムスの頭骨③プシッタコサウルスの左後肢を抑えるレペノマムスの左後肢Gang(2023)より引用。

 双方の化石について少し解説しよう。プシッタコサウルスは全長1.2mで体重10.6±6.0kg、推定年齢は10歳近くの生態であると考えられている。足を折りたたんでうつ伏せ状態になり、首と尾は個体の左側へ向かって曲げられている。対するレペノマムスは全長0.5mで体重3.43±1.42kgであり、こちらの方は亜成体であったようだ。頭は大きく右側へ向けられており、プシッタコサウルスの左前の肋骨に噛みついていた。左後肢はプシッタコサウルスの左後肢を抑えており、左前肢はプシッタコサウルスの下顎を抑えている。

 続いてはこの化石が「闘争の末に化石化した」とされた根拠についてだ。まず挙げられたのは攻撃側のレペノマムスがプシッタコサウルスに乗りかかるような形であったことである。またレペノマムスの前後肢がプシッタコサウルスを押さえつけるような配置がされていること、プシッタコサウルスの肋骨に噛みついていたことから、レペノマムスがプシッタコサウルスを攻撃した瞬間であると解釈された。レペノマムスとプシッタコサウルスの配置からして死後にたまたまそのような形になったことは否定され、またプシッタコサウルスの化石に噛み跡らしきものが保存されていなかった(ここは少し覚えていただきたい)ことから、すでに死亡していたプシッタコサウルスに噛みついた可能性も否定されるに至った。論文中では現生哺乳類のクズリが自分より何倍もの大きさを持つヘラジカやカリブーなどを捕食する事例を挙げ、レペノマムスも対格差倍程度までなら十分に捕食対象になりうると推定されたのである。論文では最後に、プシッタコサウルスが生涯を通じてレペノマムスの脅威にさらされ続けていたであろう可能性を指摘したほか、当時の熱河生物群の中でプシッタコサウルスが主要な被食者としてディロングや未記載のカルノサウルス類*2に捕食されていた可能性を指摘した。

 

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 ……というのが7月に発表されたGang(2023)の論文の要約である。では、まことに蛇足ながら筆者個人の見解をここで語らせていただこう。くだんの化石標本(WZSSM VF000011)が贋作ではない実物化石であるという前提のもと*3、筆者の意見は以下のとおりである。

 

「WZSSM VF000011は、捕食行動以外の要因で瀕死状態になったプシッタコサウルスにレペノマムスが噛みついた化石であり、闘争の結果を残した化石ではない」

 

 なぜこのように考えたか、以下に説明していこう。

プシッタコサウルスの姿勢

 まず気になるのはプシッタコサウルスの姿勢である。論文に書かれている通り、プシッタコサウルスは後肢を折りたたみ、うつぶせになった状態で化石化していた。この化石を見た時、筆者の頭の中にはとある恐竜を思い出した。プシッタコサウルスと同じく熱河層群で産出し、巣穴の中で休眠姿勢をとった状態で死亡してたと解釈された穴居性鳥脚類、チャンミアニアである。チャンミアニア2個体分の姿勢や保存状態は今回のプシッタコサウルスと(素人目には)瓜二つであり、プシッタコサウルスがうつぶせ姿勢をとっていたのも攻撃からの防御ではなく休息時の姿勢だったのではないかと考えた訳だ。とりあえず下にチャンミアニアの記載論文より引用した化石写真を掲載するため、WZSSM VF000011のプシッタコサウルスと比較してみていただきたい。

チャンミアニア化石写真。A:PMOL AD00114(ホロタイプ) C: PMOL LFV022(参照標本)。赤矢印は胃石のある場所。Yang(2020)より引用

プシッタコサウルスの化石状態

 上述の姿勢に加えてプシッタコサウルスの化石に噛み跡がないことも引っかかるポイントの一つである。レペノマムスがプシッタコサウルスを襲撃したのならば、急所の首(頚椎)や、そうでなければ他の部位に噛み跡が残りそうなものだが、現状プシッタコサウルスには一切の噛み跡が残っていないそうだ。上位捕食者が仕留めた獲物をレペノマムスがあさった可能性は論文執筆者と同意見ではあるのだが、レペノマムスの歯型もないのは少し不自然ではある。

③レペノマムスの姿勢

 レペノマムスの姿勢についてもツッコミを入れてみたい。レペノマムスの体が大きく曲がっていることについてはおそらく不自然さはないのだが、気になるのは左前肢の配置である。プシッタコサウルスの下顎を抑えているのはいいのだが、よく見るとレペノマムスの指がプシッタコサウルスの口内に入り込んでいるのである。角竜の口というのは角質のくちばしに切断式のデンタルバッテリーが備わる近接武器と言ってもいい部位であり、プロトケラトプスとヴェロキラプトルの闘争化石においてもプロトケラトプス側の対抗手段として使用されている。噛みつかれてしまえば大けがは確定するような場所に指(と言うか手)を突っ込んだりするだろうか?

④クズリの狩りについて

 レペノマムスがプシッタコサウルスの生態を襲っていた根拠として、クズリの捕食行動が挙げられていた。が、クズリがヘラジカやカリブーを襲う時期は積雪深まる冬季が中心らしい(現生哺乳類はさっぱり分からない筆者である)。いわく、クズリの足はかんじきのように幅広く、新雪の中でも深みにはまらずに活動できるらしい。それに対してヘラジカやカリブーは細い足を雪に取られるため、機動力は大幅に落ちる。つまり、クズリがヘラジカやカリブーを襲うことができるのは、獲物の機動力に猛烈なデバフがかかる時期限定であるといえるだろう(もしかすると夏季でも普通に狩りしているのかもしれないが。何度も言う通り、哺乳類はさっぱりである)。対してレペノマムスはどう頑張ってもプシッタコサウルスより機動力は下であり、まして白亜紀前期という時代を考えると積雪デバフは一切期待できない。よほどうまく奇襲をかけない限り倍以上もある相手は倒せないだろうし、そもそも獲物にもしないのではないだろうか。

 

 ……というのが、論文を読んで筆者が考えたことである。レペノマムスがプシッタコサウルスを捕食しようとしたその瞬間の化石である、ということはほぼ間違いないだろうが、これがレペノマムスによる狩猟の結果かと問われれば正直不自然な要素が多すぎるのである。チャンミアニアの例から考えて、病気や有毒な火山性ガスなどによりプシッタコサウルスが瀕死状態あるいは死後間もない段階でレペノマムスに発見され、レペノマムスが一口目をかけようとした瞬間に火砕流などの災害によりレペノマムスも即死したのではないか、というのが筆者の考えるところである。

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 以上、レペノマムスとプシッタコサウルスの闘争化石(仮)について、筆者が考えているところをグダグダ書き連ねてみた。毎度のことながら当ブログはチラシの裏であり、よってここで書き連ねたことは事実無根の大ウソと化す可能性は極めて高い。WZSSM VF000011が実際に闘争化石なのかどうかは(そもそもこの標本の真贋についても)後々詳細な検討が必要なことは火を見るより明らかである。とはいえ、闘争結果の化石であろうがなかろうが、中生代の哺乳類の生活史の一部を見せつける重要な化石であることには変わりない。中生代の哺乳類が恐竜に脅かされるのみならず、時に恐竜を脅かす存在であったことはレペノマムスの記載前後ですでに明らかになっていたわけだが、これからも各地でそのような証拠が見つかるに違いない。中生代の哺乳類も、なかなか面白い生物ばかりである。

 

参考文献

Han, G., Mallon, J.C., Lussier, A.J. et al. An extraordinary fossil captures the struggle for existence during the Mesozoic. Sci Rep 13, 11221 (2023). https://doi.org/10.1038/s41598-023-37545-8

Yang Y, Wu W, Dieudonné PE, Godefroit P. A new basal ornithopod dinosaur from the Lower Cretaceous of China. PeerJ. 2020 Sep 8;8:e9832. doi: 10.7717/peerj.9832. PMID: 33194351; PMCID: PMC7485509.

 

*1:実はこの闘争化石、数あるヴェロキラプトルの標本の中でも保存率・保存状態ともに最良の標本でもあったりする。なお骨学的記載はされていない模様。

*2:さらっと論文で言及された存在だが、熱河層群で大型獣脚類と言えば現状ユウティラヌスのみである。とはいえ地理的なことを考えれば出現したばかりのメガラプトル類や、世界中に進出したカルカロドントサウルス科が熱河生物群の頂点捕食者に君臨していた可能性は極めて高い。本論文で言うところのカルノサウルス類の定義によるだろうが、おそらくはカルカロドントサウルス科であろう。

*3:なぜこんな前提をくわえたかというと、論文内での真贋議論が凄まじくあっさりしたもので終わっているためである。この標本は研究者が発掘した標本ではなく、論文執筆者によって購入された標本である。当然真贋判定は慎重に行うべきだが、論文では「複数個体がもつれた状態であるため贋作ではない」と簡潔に述べるにとどまっているのである。

北山からネメグトへ駆け

 気が付いたら一か月以上投稿が開いてしまったわけである。そんなこんなで福井県立恐竜博物館はリニューアルオープンを迎え、恐竜博2023は大阪会場が始まっている。恐竜科学博も開催が間近に迫っており、今年の夏も恐竜で盛り上がる夏になりそうである。

 恐竜博と言えば、もはや昔の話と化してしまった『恐竜博2019』の主役の一人として君臨していたのはデイノケイルス(Deinocheirus mirificus)であった。長らく謎の恐竜の代名詞となっていたデイノケイルスは、2006年から2009年の新発見、そして2013年の新標本記載を経て、当初予想以上にとんでもない恐竜であることが明らかになった。巨大な前肢はもちろんのこと、発達した神経棘や幅の広いくちばし、体重を支えるための幅広い後肢など、オルニトミムス類としては特異な特徴が明るみに出たのである。

 そして同時に、デイノケイルスの系統についてまとめられることになった。ネメグト層という白亜紀末期の地層から産出しながら、派生的オルニトミムス類に普遍的に見られるアークトメタターサルを一切持たないデイノケイルスは、ガルディミムス(Garudimimus brevipes)やベイシャンロン(Beishanlong grandis)などといった原始的な特徴を残したオルニトミムス類とともに「デイノケイルス科」を形成したのである。その後の経緯は不確か(というか、単に筆者が論文にアクセスできていないだけ)だが、メキシコの上部白亜系カンパニアン階から産出したパラクセニサウルス(Paraxenisaurus normalensis)や熱河層群から産出したヘキシング(Hexing qingyi)などもデイノケイルス科への所属が指摘されているらしい。デイノケイルス原記載時に定められて以降、有名無実になっていたデイノケイルス科だが、最近はなんだか賑やかになっているようだ。

 そんなデイノケイルス科だが、所属する仲間が全員10m台という巨体を持つ訳ではない。パラクセニサウルスは5.6m程度の全長であるらしいが、ヘキシングやガルディミムスはオルニトミムス類としては真っ当な大きさである。その中において、ベイシャンロンの全長7〜8mという大きさはデイノケイルス科の中でも頭一つ抜けた存在感を放っている。これほどの巨体を得たベイシャンロンとは何者なのだろうか?デイノケイルス科の中で、どのような存在なのだろうか?デイノケイルスの追加標本が記載されて10年が経過した今、改めてベイシャンロンについて振り返ってみよう。

 

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 ベイシャンロンが産出した場所は中国甘粛省、白魔城サイトに分布する新民堡層群である。新民堡層群は白亜紀前期のアプチアン〜アルビアン期の地層と考えられており、同層群からはハドロサウルス上科のエクイジュプスや、原始的な角竜類であるオーロラケラトプスなどが報告されている(パンティラノサウルス科のシオングアンロンやテリジノサウルス科のスジョウサウルスも同じ出身らしい)。

 産出部位は骨格図と写真両方で紹介されている。確認するとどうも左半身に産出部位が偏っているが、それでも一揃いの前後肢が産出している他、頸椎の残骸や血道弓や神経棘を含めた6個の尾椎なども産出した。頭骨はひとかけらも産出しなかったが、オルニトミムス類の同定で重要な前後肢はきれいに産出しており、固有の特徴や系統解析には十分な情報が集まった。ベイシャンロンの固有の特徴は主に以下の通りとされている。

・神経棘の前後に顕著な隆起が見られる。

・前肢第1指末節骨は曲がっているが、第2、第3指末節骨は直線的である。

・第3中足骨は第2、第4中足骨に挟まれるが、正面からは視認可能である。

原記載時におけるベイシャンロン骨格図。Makovicky(2010)より引用。

 ベイシャンロンの各部位を見ていこう。それなりに産出した尾椎の神経棘には、吻部側(前方)に深い切れ込みが存在している。この神経棘と尾椎は癒合しておらず、少なくともベイシャンロンのホロタイプは成長途中の亜成体であることが確実視されている。これに加えてベイシャンロンの神経棘には白亜紀後期のカナダから産出した(ストルティオミムスともオルニトミムスとも異なると解釈されている)未命名の大型オルニトミムス類と共通する特徴があると指摘された。

 続いて肩甲烏口骨と前肢の話である。肩甲骨は典型的なオルニトミムス類の肩甲骨であるが、烏口骨は全体的に水平な稜線が形作られている。派生的なオルニトミムス類の特徴を備えている肩甲烏口骨に対して、吻部側から見て四角形となる上腕骨近位端など、上腕骨についてはやや原始的な特徴を残している。橈骨と尺骨はほぼ真っすぐな形状であり、近位端と遠位端が接着しているしている。肘頭の形状は典型的なオルニトミムス類のそれのようだ。基盤的なオルニトミムス類であるハルピミムス―――今なおデイノケイルス科の基盤的な存在として認知されている―――と同様の形質をもつ中手骨を経て、それなりに曲がった第一指と直線的な第二、第三指末節骨が続く。このうち第二、第三指末節骨については派生的なオルニトミムス類と同じ形質であるようだ。

 最後に後肢の話である。ここまで派生的な特徴と祖先的な特徴の両方を持ち合わせていることを説明したベイシャンロンであるが、こと後肢に関しては祖先的な特徴が盛りだくさんである。最も分かりやすい形質として、派生的なオルニトミムス類の特徴であるアークトメタターサルが不完全であることが挙げられる。第三中足骨の近位端は挟まれ、潰れかかっているものの、中足骨正面から見れば第三中足骨は確認できる程度にしか挟まれていないのである(アークトメタターサルが発達すると、正面からでは第三中足骨は視認できなくなる)。また、派生的なオルニトミムス類では退化した第一指および第一中足骨が残っていたり、後肢末節骨の形質も緩やかに湾曲した短く幅の広いものとなっていたり(結果として、断面の形は三角形になる)、どうにも走行に特化していたとは思えない形質を備えていた。腓骨を切断し顕微鏡下で観察したところ、13〜14本の成長線が見られたこと、血管構造が内側から外側にかけて数を減らしながら形状が変化していたことから、やはりこのホロタイプは亜成体であること、成熟まで間もなくであったことが指摘された。

オルニトミムス類における中足骨のイラスト。下段がおおむねデイノケイルスを含めた原始的な特徴を残すオルニトミムス類。ベイシャンロンは下段右から2番目。Chinzorig(2017)より引用。

 

 系統解析の結果、ベイシャンロンは基盤的なオルニトミムス類から進化する段階の側系統の一つとして解釈された。具体的にはガルディミムスおよびアークトメタターサルを備えたオルニトミムス類の系統群と姉妹群として、ハルピミムスともども位置づけられている(これらより原始的な存在としてシェンゾウサウルスとペレカニミムスが挙げられた)。その中においても推定体重626kgというガリミムスを上回る大きさは注目されるに至った。原記載論文ではガリミムスと比較してベイシャンロンの前肢がよりがっしりしていることを指摘しており、これを根拠に白亜紀後期のオルニトミムス類よりもずんぐりした体つきであったこと、実際の体重が推定値を上回る可能性があることなどが言及されたのである。

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 さて、ここまでがベイシャンロンの原記載論文の意訳解説であった。ここまでの情報はもう10年以上も前の話である。ここからデイノケイルス新標本が記載され、デイノケイルス科が復活(事実上の新設)し、デイノケイルス科の恐竜も増加している。デイノケイルス科という分類群からベイシャンロンを見たとき、どのようなことが言えるだろうか。各種資料(とか言いながら筆者の手元には英語版Wikipediaか『恐竜博2019』の図録しかないのだが)から読み解いていこう。

 まずは系統についてである。デイノケイルス科のうちデイノケイルス、ガルディミムス、ベイシャンロンについては系統関係が明らかにされている(残りのパラクセニサウルスとヘキシングについては系統について述べた資料が見つからなかった)。それによれば、デイノケイルス科のうち最も基盤的な種がベイシャンロンであり、ついでガルディミムス、デイノケイルスは最も派生的な種と解釈されている。これについてはそれぞれの恐竜が産出した時代とも調和的であり、系統についてこれ以上動くことはないだろう。そう思ってベイシャンロンの記載論文を読み返すと、基盤的なオルニトミムス類と共通する特徴が多く見られる他、鉤爪ではなく蹄状となっている後肢末節骨などデイノケイルスとも共通する特徴が見られることも確かなのである。

デイノケイルス科を中心としたオルニトミムス類の系統図。『恐竜博2019』の公式図録等を参照に筆者作成。

 しかしながら、やはりデイノケイルス科としては特異な形質も見られる。肩甲骨と烏口骨を含めた前肢の形質はほとんど派生的オルニトミムス類の特徴で占められている。後肢中足骨は特に分かりやすいだろう。デイノケイルスでは一切の挟み込みが見られない第三中足骨が、ベイシャンロンでは不完全ながら挟まれ潰れかけているのである。デイノケイルス科が派生するより前のオルニトミムス類ではハルピミムスが割合いに近い形状の中足骨を持っており、ベイシャンロンも祖先の形状を受け継いだものと解釈できるかもしれない。デイノケイルスで第三中足骨の挟み込みが見られないのは、ベイシャンロンやガルディミムスとの共通祖先から分岐して以降に変化した結果かもしれない。

 ここでふと疑問が生じる。原記載論文の骨格図では典型的なオルニトミムス類として描かれていたベイシャンロンであるが、実際はどのような姿だったのだろうか?デイノケイルスへと至る途中の存在であるならば、デイノケイルスがそうだったように我々が想像するオルニトミムス類の典型から外れるのではないだろうか?残念ながら答えはノーである可能性が高いかもしれない。なぜならば系統上においてベイシャンロンとデイノケイルスの間に位置するガルディミムスは至って普通のオルニトミムス類の姿をしているからだ。ガリミムスと比べれば頑丈なベイシャンロンの前肢は第一指末節骨を除けば典型的なオルニトミムス類のそれであり、不完全なアークトメタターサルを持つ後肢はデイノケイルスのような重い体重を支える構造には見えないのである。ベイシャンロンよりも古い系統、すなわちデイノケイルス科とオルニトミムス科が分岐するより前の段階に位置するペレカニミムスなども原始的な特徴は多々持ちつつも見た目は典型的なオルニトミムス類のそれである。よってその中間段階にいるベイシャンロンもまた、体型自体は標準的なオルニトミムス類であり、デイノケイルスのような特異な形態ではなかったのではないかと想像できる。

 とはいえ、ベイシャンロンの産出部位は前後肢と尾椎の一部のみであり、頭骨や胴椎など体骨格の多くは未発見である。ベイシャンロンがデイノケイルス科(もとい、デイノケイルスへと続く系統)のなかで異例な早期巨大化を果たしていたのは紛れもない事実であり、そういう意味においてはデイノケイルス科の本流から外れた存在であるという見方も可能なのである。であるならば、現状においてベイシャンロンの姿を予想することは極めて困難という結論になりそうだ。確実に言えることは、ベイシャンロンの全貌が明らかになるのは追加標本の発見および記載後になるということだけだろう。

 

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 以上、大型オルニトミムス類の一角であるベイシャンロンについてグダグダと語ってきた。ベイシャンロンが産出した新民堡層群は時代や地理的に見ても、あまた羽毛恐竜を産出した熱河層群義県層のその後に値する場所である。シオングアンロングやスジョウサウルス、エクイジュプスなども面々を見る限り、後の時代である白亜紀後期の東アジアに息づいた系統は新民堡層群に出そろっており、義県層と合わせてみれば東アジアにおける恐竜相の変動や進化が見えてきそうである。新民堡層群は今のところそれほど注目されている産地というわけでもなさそうだが、重要性は間違いなく高そうだ。

 ベイシャンロンに話を戻せば、ベイシャンロンはデイノケイルス科における現状最基盤の恐竜である(ヘキシングの系統的立ち位置が怪しいところではあるが)。白亜紀末期まで至ったデイノケイルス科の始まりの恐竜でありながら、すでに巨大化の方向性を見せていたベイシャンロンの理解がさらに深まれば、東アジア(と、もしかしたらララミディアまで)で一定の成功を収めたデイノケイルス科の理解も深まることだろう。ベイシャンロンの化石は現状ホロタイプ一個体のみが発見されており、追加標本が発見されればベイシャンロンの新しい姿が明らかになるだろう。典型的なオルニトミムス類の姿をしていたとしてもそれはそれで興味深い。ジャドフタ層やネメグト層の序章はまだ落丁が多く、だからこそ今後が楽しみではあるのだ。

 

参考文献

Chinzorig T, Kobayashi Y, Tsogtbaatar K, Currie PJ, Watabe M, Barsbold R. First Ornithomimid (Theropoda, Ornithomimosauria) from the Upper Cretaceous Djadokhta Formation of Tögrögiin Shiree, Mongolia. Sci Rep. 2017 Jul 19;7(1):5835. doi: 10.1038/s41598-017-05272-6. Erratum in: Sci Rep. 2018 Apr 11;8(1):6045. Erratum in: Sci Rep. 2020 Jan 27;10(1):1494. PMID: 28724887; PMCID: PMC5517598.

Makovicky PJ, Li D, Gao KQ, Lewin M, Erickson GM, Norell MA. A giant ornithomimosaur from the Early Cretaceous of China. Proc Biol Sci. 2010 Jan 22;277(1679):191-8. doi: 10.1098/rspb.2009.0236. Epub 2009 Apr 22. PMID: 19386658; PMCID: PMC2842665.

真鍋真,2019,恐竜博2019,NHK,p183