古生物・恐竜 妄想雑記

恐竜好きないち素人による妄想語り置き場

羽王竜の華麗なる怪

あけましておめでとうございます(大遅刻)。本年も当ブログをよろしくお願いいたします。そんなわけで新年一発目の記事でございます。

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 『世界最大 恐竜王国2012』。このワードにときめく方はどれほどいらっしゃるだろうか。2012年に幕張メッセで行われたこの恐竜展は、中国山東省の諸城の発掘サイトでの発掘成果を中心にした割と大規模な展覧会だった。改めて図録を開けば(複製だが)アンテトニトルスやシノサウロプテリクスの実物化石などの冷静に考えたらやべー奴らが紹介されていたり、かと思えばシャントウゴサウルスにまとめられ今ではシノニム扱いとなったズケンゴサウルスやフアシアオサウルスが堂々と紹介されていたり、そこはかとない懐かしさを感じる*1

 そんな恐竜王国2012のメイン展示の一角として登場していたのが、同年に記載されたばかりであったユウティラヌス(Yutyrannus huali)であった。全長9m*2と大柄な体型ながら全身に羽毛をまとっていたこの恐竜の報告は、後にティラノサウルスの羽毛の話へといやおうなしに突入することになったのだが、それはそうとして羽毛を抜きにしてもユウティラヌスという恐竜は極めて興味深い…というか奇怪な存在であったりする。そんなわけで今回はティラノサウルス上科トップの異端児(個人の見解)であるユウティラヌスの紹介と妄想記事である。なお、参考にできる論文があまりにも少ないため、いつも以上に存在意義のない内容であることはあらかじめ断っておく。

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 ユウティラヌスの経歴についてはここで語るまでもないだろう。一応軽く説明すると、中国遼寧省、熱河層群義県層のどこかで地元民によって発掘、博物館へ送られた。標本は3体分―――ホロタイプZCDM V5000、パラタイプZCDM V5001、ELDM V1001―――であり、諸城恐竜博物館に収められた2体はそれぞれ成体と亜成体、エレンホト恐竜博物館に収められた1体は幼体と考えられている*3。関節は外れかかっていたもののいずれも保存状態は良好であり、ユウティラヌスの全貌は記載早々におおむね明らかになった。

 記載の時点において派生的なティラノサウルス上科の特徴が重視された結果、同時代のディロングよりも派生的な恐竜として分類された。…がどうも記載当時から頭骨に発達したとさかや前後に長い楕円形の外鼻孔など、プロケラトサウルス科などのより基盤的な恐竜がもつ特徴もモザイク状に有していることは指摘されていたようである。結局、ティラノサウルス上科の系統をまとめた論文(Brusatte 2016)においてプロケラトサウルス科へと再分類され、以降プロケラトサウルス科の派生的な存在として認識されている。同論文では先に発見・命名されていたシノティラヌス(Sinotyrannus kazuoensis)と姉妹群と推定されており、もしかすればシノティラヌスがユウティラヌスの子孫と言えるかもしれない。

ティラノサウルス上科の系統図。Brusatte(2016)より引用

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 さて、最大級かつ同科最末期の種類であるユウティラヌスであるが、冷静に考えたらこの恐竜はかなり奇怪な恐竜である。別に小型恐竜が突然大型化したことを不思議がることはないし、全長9mの体に羽毛が付いていたことを特別視するわけでもない。筆者がユウティラヌスを奇怪とするのは、ひとえに生息していた時代によるものだ。

 ユウティラヌスの産出した場所については詳しいことが伏せられているのだが、もろもろの事情で熱河層群義県層であることは確実視されている。時代はおおむね白亜紀前期のバレミアン期(129.4~121.4Ma)だ。で、問題になるのはこの「白亜紀前期」という時代である。大陸分裂もそれなりに進み、各地で独自の生態系が形成されつつあったが、生態系の上位にいたのはアロサウルス上科の一員であるカルカロドントサウルス上科(カルカロドントサウルス科&ネオヴェナトル科)であった。時代が同じバレミアン期を見れば、ヨーロッパでネオヴェナトル(Neovenator salerii)とコンカヴェナトル(Concavenator corcovatus)が頂点捕食者の地位についていた。次の時代であるアプチアン期およびアルビアン期になってもなお、情勢は変わらない。北米大陸にはアクロカントサウルス(Acrocanthosaurus atokensis)が君臨し、その後釜はシアッツ(Siats meekerorum)へと引き継がれた。中央アジアにおいてはウルグベグサウルス(Ulughbegsaurus uzbekistanensis)が頂点捕食者の地位についていた*4。当時ティラノサウルス上科は中小型の獣脚類として存在しており、頂点捕食者になりえるような存在ではなかったのである。

ティラノサウルス上科の系統と同時代における非ティラノサウルス上科大型獣脚類の関係を示した図。Tanaka(2022)より引用。

 そんなカルカロドントサウルス上科全盛期の時代にユウティラヌスである。義県層からはユウティラヌス以上の大型捕食者は産出しておらず、現状ユウティラヌスが義県層最大の獣脚類である。ここに白亜紀前期の東アジアで出現したばかりのメガラプトル類をくわえたとしても、ユウティラヌスに追いつくことはできないだろう。カルカロドントサウルス科がひしめく白亜紀前期において、なぜユウティラヌス(と言うかプロケラトサウルス科)が頂点捕食者に上り詰めることができたのだろうか?

 東アジア全体に目を向けるとさらに複雑怪奇な現象が起きている。中国北部に下部白亜系チューロニアン階の烏蘭蘇海層(ウランスーハイ層)にはシャオチロン(Shaochilong maortuensis)と命名されたカルカロドントサウルス科がいるのだが、これが全長6mとけして大型とは言えない大きさである。同層で頂点捕食者に君臨していたのは全長11mとも推定されるキランタイサウルス(Chilantaisaurus tashuikouensis)であるが、これがまた正体不明の恐竜である。原記載から系統解析が迷走し、現在もなおネオヴェナトル科に放り込まれれるわ、メガラプトル類と近縁の位置に置かれるわと安定していない。現状においてはカルカロドントサウルス科(または上科ごと)とは遠縁の恐竜であると考えられており*5、これもまた東アジアにおける獣脚類勢力図の混迷っぷりに拍車をかける存在と言えるだろう。

 なぜ東アジアばかりこんなことになったのだろうか?ヒントになりそうな地域が南アジアはタイに分布するアプチアン階のサオ・クア層である。ここから産出した獣脚類であるシャモティラヌス(Siamotyrannus isanensis)は、現在アロサウルス上科の中でも基盤的なメトリアカントサウルス科に分類されている。メトリアカントサウルス科の全盛期はジュラ紀後期であり、白亜紀前期になればほぼ全域で絶滅していたわけだが、なぜか南アジアでは生き残っていた。雑に考えるならば、地理的な要因(山脈や砂漠等)によりヨーロッパあたりで派生したカルカロドントサウルス科の到達が遅れた結果、白亜紀前期までメトリアカントサウルス科が生き残ることができたといったところだろうか。

 もしかすると似たようなことが東アジアでも起きていた可能性もある。メトリアカントサウルス科が絶滅後、カルカロドントサウルス科の到達が北米大陸と比べて遅れた結果、義県層ではプロケラトサウルス科が大型化、烏蘭蘇海層においても独自にコエルロサウルス類が大型化したのではないだろうか。烏蘭蘇海層のシャオチロンが比較的小型なのも、東アジア到達時には大型獣脚類のニッチが開いていなかったのではないか…、というストーリーが描けそうだ。メガラプトル類が出現したのもまた白亜紀前期の東アジアである可能性があることを考えると、想像を膨らませればなかなか楽しいことを考えることができそうだ。

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 以上、ユウティラヌスについて筆者が考えていることをグダグダとまとめてみた。上記に書き散らしたことはしょせん筆者の事実無根の根拠なき妄想であり(このブログがそもそも、という話ではあるが)、よってここで書いたことは間違いなく大外れと言えるだろう。それはそうとしてユウティラヌスという恐竜はそれ単独としてみた場合においても、前後の時代も併せた状況と比較してみてもなかなかに奇妙な存在である。ユウティラヌスの存在が東アジアの生態系や進化史においてどのような意味を持つのか、それはこれから明らかになるかもしれない。あるいはそのヒントは、義県層とは遠い場所に埋もれている可能性もある。

 白亜紀前期にユウティラヌス、そしてシノティラヌスという頂点捕食者を輩出したティラノサウルス上科だが、その栄光が長く続くことはなかった。これ以降頂点捕食者の地位は遠ざかり、リトロナクスという形で今度こそ頂点捕食者の地位を確立したのは白亜紀後期カンパニアン期であり、ユウティラヌスからは3800万年もあとのことであった。リトロナクスが頂点捕食者に君臨したその時、羽王竜の一族であるプロケラトサウルス科は絶滅していたのである。

 

参考文献

Kohei Tanaka, Otabek Ulugbek Ogli Anvarov, Darla K. Zelenitsky, Akhmadjon Shayakubovich Ahmedshaev and Yoshitsugu Kobayashi, 2021, A new carcharodontosaurian theropod dinosaur occupies apex predator niche in the early Late Cretaceous of Uzbekistan. Royal Society Open Science, 8: 210923. https://doi.org/10.1098/rsos.210923

Lindsay E. Zanno & Peter J. Makovicky, 2013, Neovenatorid theropods are apex predators
in the Late Cretaceous of North America, Natur Communications, | 4:2827 | DOI: 10.1038/ncomms3827 |www.nature.com/naturecommunications

Roger B. J. Benson, Matthew T. Carrano and Stephen L. Brusatte, 2010, A new clade of archaic large-bodied predatory dinosaurs (Theropoda: Allosauroidea) that survived th the latest Mesozoic, Naturwissenschaften, 97:71–78. DOI 10.1007/s00114-009-0614-x

Stephen L. Brusatte, & Thomas D. Carr2, The phylogeny and evolutionary history of tyrannosauroid dinosaurs, 2016, DOI: 10.1038/srep20252

 

グレゴリー・ポール,2020,恐竜辞典 原著第2版,共立出版,p420

関谷透,2015,東アジアの恐竜時代,福井県立恐竜博物館,108p

土屋健,2015,白亜紀の生物 上巻,技術評論社,175p

長谷川善和ほか,2012,世界最大恐竜王国2012,汎企画21,156p

服部創紀,2018,獣脚類~鳥に進化した恐竜たち~,福井県立恐竜博物館,114p

ホセ・ルイス・サンス 他,2014,スペイン 奇跡の恐竜たち,福井県立恐竜博物館,156p

*1:なお、『恐竜王国2012』の企画・実施に携わった企業は後日倒産したという話がある。同恐竜展での集客数が当初予想以上に伸び悩んだためという理由も聞いたことがあるが、それはまた別の話である。

*2:原記載当時の推定全長。グレゴリー・ポールの『恐竜事典』では7.5mと出されていたが、現在も9mの数値をよく見るため、当ブログでもユウティラヌスの全長を9mとして書いていく

*3:諸城恐竜博物館に収められた2体は幕張やFPDM等で展示されていた経歴もあるのだが、エレンホト恐竜博物館に収められた幼体に関しては表に出た記憶が皆無すぎて碌な情報がない。

*4:ただし2022年の12月に、ウルグベグサウルスが大型ドロマエオサウルス類である可能性が指摘された(詳しくはこちら)。これに関してはしばらく様子見をするしかないだろう。

*5:おそらくは何かしらのコエルロサウルス類と考えられている。とはいえ系統解析では特にメガラプトル類と近縁になることもそうそうないため、やっぱり正体不明のままである。【2023.1.30追記】後で調べなおしたところ、コエルロサウルス類としているのはウルグベグサウルス記載論文のみであった。結局のところキランタイサウルスの正体は相変わらず不明であることには間違いがなく、現状は何かしらの(コエルロサウルス類含む)テタヌラ類とするよりほかになさそうだ。なお面白いことに、メトリアカントサウルス科に位置付けた論文は見たことがない